【保育・福祉】「保育士」になるまで
いつもありがとうございます、みや兄です。私は現在保育士として仕事をさせていただいてます。気がつけば保育士生活もだいぶ長くなってきました。
今回はなんで保育士になったのか、保育士になるまでの経過を書こうと思います。
最初から将来の夢が保育士というわけではなかったので、そこまでの紆余曲折も含めて書き進めたいと思います。
◯大学受験失敗から自堕落な生活へ
私は大学受験をあまり真剣に考えておらず、志望していた大学に落ち、あまり行きたくなかった学校に行かなきゃいけない思いを抱えながら自堕落な大学生活が始まりました。
いま思うと大学受験に向けた対策をしっかりと高校入学時期から持っていれば攻略法もあっただろうな、と後悔するばかりですが、自業自得です。そんな後ろ向きな気持ちで大学生活がスタートしました。
本当に親には申し訳ないんですがひどい生活で、授業はあまり行かない、成績もそんなに良くない、単位も落とすという、本当に典型的なクソ大学生でした。
結婚式場のアルバイトを始めてからは週末のバイトが生活の中心になりました。バイトの友人と週末から平日も遊びまくって最初の2年間は本当に親に申し訳ない生活を過ごしていました。
◯転機が訪れたのは「学童保育」のバイト
そんな中、結婚式場のメンバーの一人から、平日やってる学童保育のバイトを夏休みだけでもやらないか誘われました。
その時は、新しいバイトを紹介してもらってラッキーくらいにしか思っていなかったのですが、そこから私の人生の道筋が変わってきます。
夏休み期間中にある小学校に行きまして、小学生相手に勉強を教えたり、活動を一緒にやっていく、そういうアルバイトを行いました。
子どもたちはやんちゃで元気で、一緒に活動していく中で私も元気をもらいながら、川でザリガニ釣りをしたり、外を走り回ったりしていました。
バイトをしている中で「あぁ、こういう子どもたちを相手にする仕事っていいな」とふと思うようになりました。
ただ、「子どもが好きなだけでは仕事としてやってはいけないだろう」と思い、それなら短大とかに入り直してちゃんと勉強したいな、と思いました。
ただ大学二年の夏なのでどうするか親と相談しました。せっかく学んだところ、お金も出してもらっていて申し訳ないし、弟も二人いるのでそのあたりも考えながら、色々と悩む気持ちを持って大学辞めて短大に入り直したい気持ちを伝えました。
そこで覚えているのはうろ覚えなんですけど、それを目指すのはいいけど大学はきちんと卒業しろと言われました。
そこからは少し真面目に生きていくようになりました。
◯真人間になった大学3年から
大学卒業までに必要な単位は最低で124単位。理想としては40→40→40→4でクリアするところですが、私は自堕落な二年間で10単位落としていました。
ここでリカバーするために三年生の時に50単位取るように履修し、四年時は実家に帰ってバイトしようと考えました。
三年生からは真面目になったので授業もレポートもテストもバイトも掛け持ちしつつ50単位すべて取ることができました。
結婚式場のメンバーでバンド練習とかもしていて本当に充実した一年だったと思います。
四年生の時にはゼミの履修で単位がクリアできたので、実家に帰りましてバイトして過ごしていました。地元の短大に入るために少しだけ貯めてあとは奨学金で残りを払うようにしました。
◯「短大」に入り直し保育科へ
と、いうわけで保育士を目指して短大に入り直しました。同級生は大体が4歳年下でしたがクラスメートに恵まれて楽しい生活を過ごすことができました。
60人のクラスに男は6人だけだったので男同士の友情もかなり強くありました。
授業については私は大卒だったため一般教養の科目が一部免除になっていてその時間はピアノに注力しました。
22歳にしてピアノを習い始め、ピアノがない日は学校のピアノ室にこもって練習しました。
そこで良かったのがうちのクラスのメンバーが大体ピアノ室にいることが多かったので、上手い子を見つけて曲を弾いてもらって曲を覚えるのに協力してもらいました。
ギターをやっていたので楽譜見ればどのコード使うか、黒鍵はどこを使うかくらいは理解できたので耳コピでピアノのテストは乗り切りました。ただし途中から弾くのは無理なので一発で駆け抜けなくてはいけません。流れで覚えてるから途中からは弾けないのです。
ピアノはやらなくても良いと思ってましたが、ピアノをやらないと幼稚園実習にいけないということで必死でやりました。幼稚園教諭の免許も取れなくなりますからね、ピアノ大事ですね。
弾き歌いはなかなか難しかったけど楽しかったですね。練習曲もバイエルからツェルニーの最初の方まではいきました。
短大では他にクラス全員で衣装係、照明係、脚本係など分担しながらミュージカルを作ったり、ボランティアで心臓病の子どもたちのキャンプを手伝ったり、軽音部に入ってバンド活動したり楽しかったですね。実習はすごく大変だったけど。
社会人になってからも一年に一回は集まってコテージ借りてキャンプをしたり、短大の時の交流がまだ続いていて、本当に仲間に恵まれたな、と思います。
◯社会人になって、保育士として
色々と紆余曲折しながら歩んできましたが、今は保育士として毎日子どもたちと一緒に成長しながら日々過ごしています。
ここまで長い道のり、回り道をたくさんしてきましたが、自分が描いた夢を形にすることができたのは本当に良かったと思います。
「人生の遠回り」ではあったかもしれませんが、私にとっては「夢への近道」になったと思っています。
その道のりで一番感じたのは「親への感謝」です。かなり迷惑をかけたと思いますが、理解と協力をしてくれて本当にありがとうございます。
私よりも出来が良すぎる弟二人にも感謝ですね、私が引っ張るより二人に押してもらうことが多いのですが、未だに仲良いのは嬉しいですね。
学生時代の仲間、バイトの仲間、職場の方々、そして趣味のカラオケやIngress、クイズの仲間が本当に良い人ばかりでそこも大きいなと感じてます。
改めて私は本当に人に恵まれた人生を歩んでいるなと感じます。
10代、20代の方は今の生き方や未来に対して疑問や不安があって、迷ったり、悩んだりすることがあると思いますが、自分なりの答えがいつか出てくると思います。
30代、40代と歩んで行く中で「年齢を言い訳にしない」生き方をしていけばいいのかな、と。
自分のやりたいことをしっかりと自分の中で形にするのはいつになっても変わらないものです。
自分が出した答えは自分に責任があるので、その中でできることをやっていけばいいのかな、と。
私もまだまだこれから新しい世界を広げられるように、色々な人に支えられながらそして自分が支える存在になりながら歩いていきたいと思います。
まとめになりませんが、保育士になった経過と、それを支えてくれた人たちに感謝、そしてこれから関わっていく人たちにもよろしくお願いしますということで締めの言葉とさせていただきます。
長文でしたがお付き合いいただきましてありがとうございました。
ではではー🐥
みや兄 Twitter→@miyabomber0101
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