【お知らせ】震災から10年と昨日の地震について
※2021年3月11日。
こんにちはみや兄です、本当は昨日に続いて会津絵ろうそく祭りのことを書こうと思っていたのですが、昨日の夜に大きな地震があったこと、震災から10年ということもあり、そちらについて書こうと思います。
◯震災から10年が経って。
昨日の地震を感じてからすぐに、3月11日のあの時のことを思い出しました。
私は東日本大震災の当日は夜勤明け、翌日から3連休だったので、会津若松から南相馬の祖母のところと南相馬に住んでいる友人のところに遊びに行こうと思っていたところでした。
ちょうど昼過ぎにシャワー浴びて、出掛ける準備しようかなと思ったところにあの大地震がきました。
本当にこの世の終わりがきたと思うくらいの激しい揺れ、まず立ってられないし、物は倒れる落ちる、これは室内にいるのは危ないと思いすぐに服を来て外に出ました。
周辺の人も外に出て異常だったあの揺れについて話し合ったりしました。
家族や職場に連絡するも電話が繋がらない。
どうしようかと思っていたときでした、私の家の近くには保育園があって、子どもたちの泣き声が聞こえたのでとりあえずそちらへ向かいました。
自分も保育士であることを伝え、何か手伝えることがないか話し、近くの避難所まで子どもたちを連れていくお手伝いと、保護者さんが迎えに来るまでの遊び相手をして夕方まで過ごしました。
夕方になっても職場に連絡がつかないのでとりあえず向かいました。
職場は思ったよりも被害はなく揺れはかなりすごかったけどみんな無事でしたし、気持ちも明るいようでホッとしました。
その後、水道が止まって給水車がきたり大変なことはありましたが、建物が大きく破損したり、怪我人がいなかったことが不幸中の幸いでした。
◯3月11日の翌日から
約束していた南相馬の友人も移動中だったようで、翌日の合流は当然なくなりました。お互いの無事を確認して良かったと思いました。
祖母の様子は気になったので南相馬に向かいます。
祖母は無事でしたが、直後に予想外のことが次々と起こります。
まずはガソリンがあっという間に売り切れ続出になってしまったこと。
次に福島第一原発の爆破事故が起きてしまったことです。あの時の建屋が爆発した時は南相馬にいたのでかなり近いところにいました。
コンビニなどのお店から食料品はなくなるし、少し大変な時期でした。
祖母は実家の福島市に少しだけ避難し、今はまた南相馬に戻っています。
実家は福島市の南の方なので意外と線量が高く出ているところでした。
父がガイガーカウンターを借りてきており、近くの線量を計ると高い数値が出るところもありました。
後々、実家も除染対象になりまして除染してもらいました。
一度弟と国道6号線を震災直後に走りました。周りの家々が崩れ落ち、国道の脇の至るところに船が転がっていました。
国道6号線は海に近いとはいえ少しは離れています。その国道の西側に船があるということは、6号線までは軽く津波が到達していたということです。
震災の悲惨さを目の当たりにして、当時はその凄惨さを記録に残すことが不謹慎と思い、写真等は撮らなかった…というか撮れなかったです。
◯友人の苦難、別れや悲しみ
私の一番仲良くしている友人は避難勧告地域内に実家があるため避難しなくてはいけませんでした。
友人自身は「俺はそこまで問題ないけどじいちゃんとかばあちゃんがな…」と、我が家に帰れなくなった祖父母のことを思い苦悩していました。
年配の方々のコミュニティが分断されていること、地元に戻れない苦悩を含めて、震災の傷跡からくる各所の苦難は未だに残っている社会問題です。
短大の知り合いも一人亡くなりました。
実家が津波で流された友人も二人。
福島を去る知り合いも多くいました。
先述した仲の良い友人は10年たった今も地元には帰れません。短時間なら家を見てきていいこともあるらしいですが、今は福島市に移っています。
私自身は会津若松に住んでいるので地震も原発も少し遠くにあることから直接大きなことはありませんが、震災後の子どもたちのケア、甲状腺検査についてなど健康面のことで長期的に向き合ってきています。
◯そして、昨日の地震について
2021年2月13日の夜に起きた地震。
緊急地震速報が鳴った瞬間は思ったよりも冷静でした。
大きな地震がくると身構え、外に出られる格好になり玄関へ。
地震直後は壁沿いに寄りかかり、Twitterで地震があったことを呟いた後にすぐにスマホと財布を持って職場に向かいました。
備えあればうれいなし、とは言いますが気持ちの面で備えておくことは行動に直結することができる、と思いました。
移動中も「ガソリンは今回は余裕がある」「職場は停電してないか」「被災で壊れたところはないか」など色々と考えながら移動できました。
スマホの充電が少し減っていたのでそこは気を付けないといけないと思いました。情報の発信も受信も今はスマホがメインなので気を付けようと思いました。
家にモバイルバッテリーも忘れていたし、無印良品の「持って運べるLEDライト」を持っていけば非常時には便利だと思いました。
◯ミニマリスト生活にしてのメリットとデメリット
今回の地震で私は、ミニマリスト生活をはじめて物が少ないことが本当に良かったと感じたところです。
元々の物が少ないので落ちてくる物や崩れる物、倒れるものがありませんでした。
そして物が少ないことで必要なものだけをすぐに持ち出して移動することも迷わずにできました。
このおかげで地震後の片付けをするということがありませんでした。
これは自分でも気づかなかった大きなメリットでした。物が少ないことで地震の被害も少なくすることができたのは大きな発見でした。
一方デメリットとしてはテレビがないので情報収集の弱さは出てしまったと感じます。
テレビをつけてパッと情報がわかるのは大きいなと感じました。広くどのあたりがどのような被害なのか、どこが一番被害が大きいのかなどを視覚的に整理できるのでテレビは便利だったんだなぁと感じました。
今日は予定とは違いますが地震についての記事を書かせていただきました。
東日本大震災から10年。色々と振り返ると同時にまだまだ続いている問題について解決方法を模索したり、これからのこと、未来についても考えていくことが必要です。
福島に住む自分だからこそ思うところもあります。
色々な人たちに支えていただきながらこれからも考えていきたい事柄なのかなと感じています。まとまりませんでしたがこのあたりで。
ではではー🐥
みや兄 Twitter→@miyabomber0101
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