【世界遺産】02日本の世界遺産(23件)
こんばんは、世界遺産検定マイスターのみや兄です!世界遺産検定2級合格に向けての勉強シリーズです。
「くわしく学ぶ世界遺産300 世界遺産検定2級公式テキスト」を中心に自分の苦手ポイントメモなどを加えていきたいと思います。
Amazon→くわしく学ぶ世界遺産300 世界遺産検定2級公式テキスト
Amazon→世界遺産検定公式過去問題集1・2級〈2021年度版〉
今日は第2回目ということで「日本の遺産」です。
【1】平泉ー仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群
(文)岩手 2011年 (Ⅱ)(Ⅳ)
◯中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山の5資産
◯藤原清衡→東北に極楽浄土を創ろうとした。堀河天皇の命で中尊寺を再興、金色堂を建立。
◯2代 藤原基衡→毛越寺を再興
◯3代 藤原秀衡→無量光院を造営
◯浄土思想→建築・庭園群の理念や意匠などには仏国土(浄土)が三次元的に表現され、浄土思想を直接的に反映している。→独自の浄土庭園を完成させた。
■浄土思想の世界を表現していること、5つの資産についての説明を軽くおさえておくようにしたい。
Wikipedia→平泉
【2】日光の社寺
(文)栃木 1999年 (Ⅰ)(Ⅳ)(Ⅵ)
◯東照宮、二荒山神社、輪王寺の2社1寺に属する103棟の建造物群と周辺の自然環境。 (日光山は神仏習合の霊場)
◯建造物と周囲の自然が調和した景観からは日本古来の神道思想が色濃くあらわれていると評価された。
→明治政府の神仏分離令により2社1寺に分けられた。
①東照宮
◯徳川家康の側近の僧天海が東照宮の前身の東照社を建設。
◯3代将軍家光の時代「寛永の大造替」と呼ばれる大改修→権現造りを主体とする姿に。
→陽明門や三猿で知られる神厩舎などが作られた。
→陽明門=高さ11.1m 横幅7m、500を超える彫刻で飾られる。
◯家康は「東方薬師瑠璃光如来」として祀られている。
②二荒山神社
◯日光の山岳信仰の中心
◯祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)、田心姫命(タゴリヒメノミコト)、味耜高彦根命(アジスキタカヒコネノミコト)の3神
◯八棟造り=入母屋造りの屋根、破風、向拝が複雑に入り組んだ構造
→後に日光東照宮に伝わり権現造りとなった。
◯本社社殿、唐門、拝殿など23棟が重要文化財。
◯祭神は男体山(二荒山)、女峰山、太郎山の山の神
③輪王寺
◯勝道上人が766年に創建した四本龍寺を起源にもち、60棟あまりの建造物を含む。
◯1653年には家光の霊廟である大猷院が造営
◯院内の慈現堂→1643年に没した天海が祀られている。
◯本道の三仏堂は日光山内最大の建造物。千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音が祀られている。
■構成は2社1寺、建築様式が重要(権現造り、八棟造り)。建設~大改修の流れをおさえておく。
Wikipedia→日光の社寺
【3】富岡製糸場と絹産業遺産群
(文)群馬 2014年 (Ⅱ)(Ⅳ)
◯富岡製糸場、田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴の4資産
◯フランスから技師のポール・ブリュナが招聘
◯三角形の屋根組みをもつトラス構造を採用。中央に柱のない広い空間を確保。
◯1872年操業、働く工女は全国の士族の子女。
◯「清涼育」→自然の通風を重視した。→田島弥平旧宅
◯「清温育」→温度と湿度を管理。→高山社跡
◯「荒船風穴」→国内最大規模の蚕種貯蔵施設。天然の風穴の冷風を利用。
◯20世紀初頭には世界一の生糸輸出国に。
■富岡製糸場、田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴の内容と場所は覚えておく。トラス構造、清涼育、清温育も重要ワード。
Wikipedia→富岡製糸場
【4】ル・コルビュジエの建築作品:近代建築運動への顕著な貢献
(文)アルゼンチン/インド/スイス/ドイツ/日本/フランス/ベルギー
2016年 (Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅵ)
◯スイス出身のル・コルビュジエが手がけた7ヵ国17点の建築作品。
◯トランスバウンダリー・サイトかつ、複数の世界にまたがる初めてのトランス・コンチネンタル・サイト。
◯「近代建築の五原則」=ピロティ、屋上庭園、自由な平面、自由な立面、「水平連続窓
◯「モデュロール」=人体の寸法と黄金比から作った独自の寸法。
◯国立西洋美術館
→松方幸次郎が「松方コレクション」の展示目的で建設。
→「無限成長美術館」という概念。巻き貝の外側に向かうように展示室を追加できる。
■構成遺産の広さは重要。南米やインドにもある。17作品の場所と説明を大体覚えておく。
Wikipedia→ル・コルビュジエの建築作品
【5】富士山ー信仰の対象と芸術の源泉
(文)山梨・静岡2013年 (Ⅲ)(Ⅵ)
◯文化遺産として登録。
◯構成資産について
→登山道や神社、湖や池に滝、遺跡や旧宅など25資産。
→三保松原はICOMOSから除外勧告も登録された。
◯噴火を沈めるための浅間神社の建立
◯平安後期~山岳信仰と密教などが結び付いた修験道の霊場として多くの修験者を集めるように。
◯富士山への信仰
→遠くから拝む「遥拝」
→富士山そのものに登る「登拝」
→富士山を巡礼して登拝する「富士講」
◯富士山に影響された芸術作品
→葛飾北斎「富岳三十六景」
→歌川広重「不二三十六景」
→浮世絵はゴッホやモネなど印象派の画家にも影響を与える。
■富士山信仰の布教を行う「御師」についても過去問には出た(按司の誤答選択肢として)ので資産名と特徴をうまく紐付けておく。
Wikipedia→富士山
【6】白川郷・五箇山の合掌造り集落
(文)岐阜・富山1995年 (Ⅳ)(Ⅴ)
◯江戸末期から明治時代に建てられた伝統的な合掌造り家屋が多く残る集落群。
→白川村荻町(白川郷)と富山県南砺市の相倉と菅沼(五箇山)の規模の異なる3つの集落。
→大集落=白川村荻町(113棟中59棟)
→中集落=五箇山・相倉(20棟)
→小集落=五箇山・菅沼(9棟)
◯日本有数の豪雪地帯
→茅葺きの屋根=45~60度の傾斜
→雪の重みと風の強さに耐えるため部材の結合には釘などは使わず縄で固定。
→家屋の構造は3~5階建てと規模が大きい。
→明治期までは農地の分散を避けるため、住民20~30人で暮らす大家族制が守られていた。
→養蚕や紙漉、塩硝(火薬の原料)の生産などの家内制手工業は農耕に代わる貴重な収入源だった。
◯「結」と呼ばれる相互扶助組織
→豪雪地帯での生活は家族だけでは成り立ちにくく、結による協力体制が発展。
→30~40年に一度行う葺き替えでは村民100~200人が総出で1日で終わらせた。
◯集落の相違点
→五箇山は一年中囲炉裏の火を絶やさないため煙抜きがある。
→入り口についても妻入りの家屋が多く(特に菅沼)、庇をつけた入母屋風の外見の家屋が一般的。
→白川郷は雪降ろしの際に邪魔にならないよう煙抜きはない
→白川郷の入り口は平入りが主流。
■集落の文化に焦点をあて、なぜそのような生活様式が生まれたのかを考えると整理しやすいと思う。3つの集落の違いや大家族制、結などがキーワード。
Wikipedia→白川郷・五箇山
【7】古都京都の文化財
(文)京都・滋賀 1994年 (Ⅱ)(Ⅳ)
◯各時代の歴史と文化
→平安から江戸までの各時代を象徴する建造物や文化財が数多く残る。
→登録年は平安遷都1,200年の節目の1994年。
◯登録資産→京都市の14資産、宇治市の2資産と大津市の延暦寺の全17資産。
→賀茂別雷神社(上賀茂神社)=賀茂別雷命を祭神。7世紀末送迎。背後の「神山」も資産に含む。
→賀茂御祖神社(下鴨神社)=東本殿は国宝。「糺の森」も資産に含む。
→清水寺=本堂は坂上田村麻呂の建立
→宇治上神社=現存する日本最古の神社建築。
→鹿苑寺=舎利殿(金閣)には寝殿造り、書院造り、禅宗様の3様式が見られる。
→慈照寺=観音殿(銀閣)と東求堂は後世の茶の湯文化に影響を与えた。
◯社会・文化のうつろひ。
→平等院などの平安社会の遺産からは公家社会の文化。
→鎌倉時代の高山寺からは武家社会の文化。
→室町時代は公家文化と武家文化が融合。「わび」「さび」の美意識が重視。本願寺は桃山文化を代表する華麗な建造物。
→教王護国寺(東寺)や延暦寺のように災害や戦災で焼失した建造物も多いが、創建当時に近い姿を残している。
→西芳寺などに見られる「池泉回遊式庭園」「枯山水」など、自然と調和した美意識は海外にも影響を与えた。
■古都京都は古都奈良と区別をしっかりつける。京都は長い歴史の中で文化の中心であった。各時代の建築様式や文化の整理をしておく。
Wikipedia→古都京都の文化財
【8】古都奈良の文化財
(文)奈良 1998年 (Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)
◯天平文化と平城京。
→元明天皇により唐の長安をモデルに造営された、道が碁盤目状の計画都市。天平文化の中心地。
◯構成資産は8資産。
1 東大寺→752年に聖武天皇の詔により廬舎那仏(大仏)が建立。現在の金堂(大仏殿)は1709に再建。全国の国分寺の総本山。
2 興福寺→710年に藤原不比等により飛鳥から移転され「興福寺」都 となった。五重塔や南円堂
3 元興寺→蘇我馬子建立の日本最古の仏教寺院。法興寺(飛鳥寺)から一部の建物を移築。
4 薬師寺→天武天皇が皇后の病気平癒を祈願し建立。平城京遷都時に現在地に移築。東寺のみが創建時の建築。
5 唐招提寺→唐から来日した鑑真の創建。金堂、宝蔵、経蔵は国宝。
6 春日大社→藤原氏の氏神として信仰。本殿は春日造りの4つの神殿が並び1つの建造物に。
7 春日山原始林→麓に春日大社が建てられたのち841年に神域に。1955年に特別天然記念物に。
8 平城宮跡→平城京の宮城跡。長岡京遷都後土に埋もれていたが、近年は遺跡の発掘調査、朱雀門、太極殿など建造物の復元が進んでいる。
→各資産の個別の価値が認められたのに加え、8資産全体で奈良時代の歴史と文化を物語っていることも評価された。
→奈良の寺社は天皇家や藤原氏と密接に結び付くものが多い。
◯奈良時代とは
→日本の文化が中国や朝鮮との交流で大きく発展していった。
→日本の律令国家や文化の基礎を形成した重要な時代であった。
■奈良の8資産の位置関係も確認しておく。京都は長い歴史の流れを評価されており、奈良はこの時代があったことを評価されている。
Wikipedia→古都奈良の文化財
【9】法隆寺地域の仏教建造物群
(文)奈良 1993年 (Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅳ)(Ⅵ)
◯奈良県斑鳩町の法隆寺の47棟と法起寺の1棟が世界遺産に登録されている。
◯法隆寺は西院と東院の二つの伽藍群により構成。西院の金堂や五重塔は世界最古の木造建築。
西院伽藍は、東に金堂、西に五重塔が並ぶ「法隆寺式伽藍配置」である。
→五重塔は高さ31.6m。五重塔の中心を通るヒノキの「心柱」は屋根から独立して揺れに強い。
→西院の入り口にあたる法隆寺中門の左右には阿形と吽形2体の金剛力士像が置かれている。
◯時代背景と文化の特徴
→西院の金堂、五重塔ら廻廊、中門は7~8世紀に建立され北魏の影響が確認される。
→8世紀に建立された東院の夢殿、伝法堂などは唐の影響が確認される。
→法隆寺地域の仏教建造物からは大陸と日本の交流の様子がうかがえる。
◯建築技術などについて
→西院の金堂や五重塔の柱にはギリシャ建築にも見られるエンタシスの技法が用いられている。飛鳥時代の日本にヘレニズム文化が伝わっていたと考えられる。
◯法起寺について
→706年建設の日本最古の三重塔が創建当時のまま残っている。
→法起寺の伽藍配置は金堂と塔の配置が法隆寺の伽藍配置とは逆になっている。
■法隆寺の伽藍配置や建物の位置関係は重要で、言葉だけでなく視覚的にも覚えておくことが良いと思う。
Wikipedia→法隆寺地域の仏教建造物群
【10】紀伊山地の霊場と参詣道
(文)和歌山・奈良・三重 2004年/2016年範囲変更 (Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ) 【文化的景観】
◯3県にまたがる紀伊山地の霊場
→吉野・大峯、熊野三山、高野山の3つの霊場とそれらを結ぶ参詣道が登録されている。
→日本古来の神道と大陸伝来の仏教が融合した神仏集合の思想をあらわしている。
1 吉野・大峯→金峯山寺や大峰山などには山岳修行者が集まり、次第に修験道の聖地となっていった。
2 熊野三山→熊野本宮神社、熊野速玉神社、熊野那智神社を中心。平安時代には天皇や貴族による「熊野詣」が行われ、以降も天皇や貴族の崇拝を受けてきた。江戸時代は庶民の間にも広がった。
3 高野山→真言宗の開祖 空海によって開かれた。山上には金剛峯寺を中心に多くの子院が立ち並び、宗教都市としての性格を帯びるようになった。
◯自然が高く評価→日本で初めての文化的景観景観が認められる遺産となった。
→単なる「寺社と道」ではなく「山岳信仰の霊場と山岳修行の道」であり、紀伊山地の自然があってこそ成立している。
◯主な構成資産はテキストのP61を参照。
■日本で初めての文化的景観というところはポイント。山岳信仰と修行、宗教的なことや紀伊山地の自然という点も。あまり馴染みのない遺産なのでテキストも繰り返し読んで覚える。
Wikipedia→紀伊山地の霊場と参詣道
【11】姫路城
(文)兵庫1993年 (Ⅰ)(Ⅳ)
◯姫路城の城主
→1333年に赤松則村が姫山に築いた砦といわれている。
→16世紀末に羽柴秀吉は毛利氏攻略の拠点に定め新たに3層の天守閣を建設。
→関ヶ原の戦いの後に池田輝政が城主になり、9年に及ぶ大改修を実施、外観5層の大天守を中心とする天守群を作った。
→続く本多忠政の時代は長男の忠刻と妻の千姫が住居としてた西の丸も整備されている。
◯姫路城の造り
→白漆喰の優美な外観から「白鷺城」と呼ばれる。
→実用的で堅牢でもあり、螺旋状に構築された複雑で巧妙な作りになっている。
→姫山と呼ばれた自然の丘の地形を巧みに聞かした曲輪や堀、多数の櫓や門により高い防衛能力を有する。
→弓矢や鉄砲を撃ちかけるための狭間や石や熱湯を浴びせかける石落としなどの仕掛けが随所にある。鉄砲狭間や弓狭間は使用する武器に応じて三角や四角に使い分けられている。
◯姫路城の歴史
→1615年の一国一城令や明治維新に際しての廃城令、第二次世界大戦の戦火も逃れ、江戸時代初期の姿をほぼ留めている。
→1956年の「昭和の大修理」は8年間に及び、天守閣の解体修理が行われた。
→2009年~2015年は大天守の屋根瓦や漆喰壁の保存修理が行われた。修復を行いながら「真正性」を保つ保存の取り組みも評価された。
■城主の変遷について覚えることと、数々のピンチを逃れて現在の姿を残していることをおさえておく。
Wikipedia→姫路城
【12】石見銀山とその文化的景観
(文)島根 2007年/2010年範囲変更 (Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅴ)【文化的景観】
◯遺産になっている範囲
1 「鉱山と鉱山街」→間歩と呼ばれる小規模な手堀りの坑道や鉱山、集落や役所など銀の生産に直接関わるところ。
2 「街道」→銀鉱石や物資を運搬する石見銀山街道など。
3 「港と港町」→銀の出港港であった靹ヶ浦や沖泊、温泉津など。
→遺跡群はかつて銀生産や住民生活で使用された新炭材の供給源だった森に覆われ、銀鉱山が豊かな自然と共存していたことを示す文化的景観となっている。
◯当時の石見銀山
16世紀に朝鮮半島から呼び寄せた技術者によって新しい精練技術「灰吹法」が伝えられた。
「灰吹法」→鉱石を一度鉛に溶かし銀を効率良く取り出す方法。
17世紀初頭には日本は全世界の3分の1に相当する量を産出していた。そのホトンドガ石見銀山でまかなわれていたとされる。
徳川家康が関ヶ原の戦い後にここを直轄地とした。
構成資産についてはテキストP65を参照。
■間歩や灰吹法、世界の3分の1、徳川家康が直轄地などのワードはおさえる。構成資産についてはテキストを読みまくる。あとは地図をみて位置関係と共に核心地域と緩衝地域についても見ておく。
Wikipedia→石見銀山遺跡とその文化的景観
【13】広島平和記念碑(原爆ドーム)
(文)広島 1996年(Ⅵ)【負の遺産】
1915年にチェコの建築家ヤンレツルの設計で建てられる。
「広島県物産陳列館」→「広島県立商品陳列所」→「広島県産業奨励館」
1945年8月6日午前8月15分 エノラゲイから投下された「リトルボーイ」は産業奨励館の南東約160年m、高度580mで炸裂。
原爆投下から2年後、浜井信三市長が第1回平和祭で平和宣言を行った。
「原爆ドーム」は崩壊の危険性や悲惨な出来事を思い出したくないという声から取り壊しも見当された。
広島市議会は1966年に原爆ドームの永久保存を決定した。
1994年には国会請願が採択され翌年国の志関に。
1996年に世界遺産登録。核兵器廃絶と世界恒久平和という願いを発信し続けるモニュメントに。
■クイズで覚えたことが多いので建築様式だけテキストでチェックする。
Wikipedia→広島平和記念碑(原爆ドーム)
【14】厳島神社
(文)広島 1996年 (Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅳ)(Ⅵ)
弥山を擁する島全体が古来から神の宿る島と信仰を集めてきた。
宗像三女神が祀られ、平清盛が社殿を整えた。
造りは寝殿造りで、独立した各部屋を渡り廊下で繋ぐ特徴がある。
本社本殿と客神社本殿には両流造りという建築様式で、切妻屋根の平屋入口屋根を延ばした「向拝」を背面にも設けている。
海上の大鳥居は4本の控え柱で支える両部鳥居。
空海が宮島で修行した時に焚かれた護摩の火が1,200年燃え続けているという「消えずの霊火」が山内に残る。
■建築様式の確認と、主な建造物の整理をする。厳島神社の見取り図もみておく。
Wikipedia→厳島神社
【15】『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群
(文)福岡 2017年 (Ⅱ)(Ⅲ)
3つの要素で構成される8遺産
①「沖ノ島」→九州本土から約60kmの玄界灘の海上にある。朝鮮半島や中国へ向かう目印となる島。
→島全体が自然崇拝の信仰を集め4世紀から500年もの間、海の安全を祈る場所として国家的な祭祀が行われてきた。百済と結び付きが強まった時期で交易の証拠と祭祀の後が残されている。
1「岩上祭祀」→巨岩の上で行う祭祀。
2「岩陰祭祀」→庇状になった岩の陰で行う祭祀。
3「半岩陰・半露天祭祀」
4「露天祭祀」→平らな場所で行う祭祀
と、いった祭祀の形態の変化がよく分かる証拠が残されている。
約8万点もの各時代の貴重な奉納品が発見され、その全てが国宝に指定。
②「宗像大社」→自然崇拝の信仰から「宗像三女神」という人格をもった神への信仰へ。
「露天祭祀」から「社殿をもつ祭祀」へ発展したことも示している。
1「沖津宮」(田心姫命)→沖ノ島
2「中津宮」(湍津姫命)→沖ノ島と九州本土の間の大島
3「辺津宮」(市杵島姫命)→九州本土
→三社一体の信仰を集めてきた作り上げている。
③「古墳群」→5~6世紀頃に築かれた宗像氏の古墳群。この地域の豪族であり朝鮮半島や大陸との交易が成立したのは彼らの力があってこそ。
◯ICOMOSの事前勧告では4資産のみ「登録」勧告が出されたが、世界遺産委員会では三社一体の信仰が評価され8資産全体での登録となった。
→世界遺産委員会では緩衝地域などでの開発の影響評価や、上陸が禁忌とされる沖ノ島への不法上陸対策、遺産の管理体系の明確化などが求められた。
■祭祀の形の変遷と所在地の確認、奉納品の種類も目を通しておく。
Wikipedia→『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群
【16】長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
(文)長崎・熊本 2018年(Ⅲ)
◯構成資産→10の「集落」と、「城跡」と「聖堂」1つずつの12資産が2県6市2町に点在する。
→構成資産は4つの時代に大きく分けられる。
1始まり→キリシタン達が禁教の中でも密かに信仰を決意する時代。
→構成資産では「原城跡」がこの時代を証明。
2形成→潜伏キリシタン達が神道の信者や仏教徒などを装いながら、密かにキリスト教信仰を続ける方法を作り上げていった時代。
→構成資産では「平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)」「平戸の聖地と集落(中江ノ島)」「天草の崎津集落」「外海の出津集落」「外海の大野集落」がこの時代を証明している。
3維持・拡大→潜伏キリシタンの信仰を続けるために、外海地域からより信仰を隠すことができる五島列島に移住していった時代。
→構成資産では「黒島の集落」「野崎島の集落跡」「頭ヶ島の集落」「久賀島の集落」「奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)」がこの時代を証明している。
4変容・終わり→約250年ぶりにキリスト教の信仰を公に告白し世界中を驚かせた「信徒発見」から教会堂が築かれていく時代。
→構成資産では国宝の「大浦天主堂」がこの時代を証明している。
◯日本の遺産で初めて、ICOMOSとアドバイザー契約を結び推薦書の作成を行った。
→「教会」を中心とした構成遺産から、潜伏キリシタン達が生活をした「集落」へと変更され、遺産名も変更された。
■4つの時代の特徴とその構成遺産の紐付けを行う。潜伏キリシタンの歴史を考えながら読み解く必要がある。
Wikipedia→長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
【17】明治日本の産業革命遺産 製鉄・製綱、造船、石炭産業
(文)岩手/鹿児島/熊本/佐賀/静岡/長崎/福岡/山口
2015年 (Ⅱ)(Ⅳ)
◯シリアル・ノミネーション
九州5県(福岡、佐賀、長崎、熊本、鹿児島)と山口、岩手、静岡に点在する23の構成遺産
文化財保護法だけでなく港湾法や景観法も組み合わせて保護されているため、文化庁ではなく内閣官房の推薦で登録が進められた。
◯主な構成遺産
松下村塾(山口)→吉田松陰の私塾。
韮山反射炉(静岡)→大砲鋳造のために作られた。
旧集成館(鹿児島)→島津家が産業育成に挑戦した日本初の西洋式工場群。
高島炭鉱(長崎)→日本初の蒸気機関導入の近代炭鉱。
端島炭鉱(長崎)→明治後期の主力坑。軍艦島。
小菅修船場跡(長崎)→日本初の蒸気機関による船舶修理施設。
三菱長崎造船所ジャイアントカンチレバークレーン(長崎)→工場設備電化に伴い建設された電気モーター式のクレーン。
三菱長崎造船所旧木型場(長崎)→造船所で現存する最古の建造物。
三池炭坑・三池港(熊本)→採掘から輸送までの総合的な物流システムを構築した炭坑。
官営八幡製鐵所(福岡)→日本の重工業の主力産業化を担った日本初の銑鋼一貫製鉄所。
■場所が点在しているので名称を覚えること、大体の建造物の内容を一文くらいで覚えておくこと。
Wikipedia→明治日本の産業革命遺産~
【18】琉球王国のグスク及び関連遺産群
(文)沖縄 2000年 (Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)
◯沖縄県内に点在する15~19世紀にかけて存在した琉球王国の文化を今に伝える遺跡群。
→古くから海の彼方に「ニライカナイ」と呼ばれる水面からの神々の国があると信じられてきた。
→その信仰を基盤に日本、中国の影響を受けながら独特の文化が生まれた。
→特に「按司」と呼ばれるこの地域の覇権を争った有力豪族はグスク(城砦)を築き、グスクには宗教的な聖地とされる拝所を備えたものもあった。
◯グスク(城砦)の内容と種類
→琉球にはおよそ300のグスクや関連遺産が残っており、5つのグスクと4つの遺産が世界遺産に登録されている。
①首里城跡→最大のグスクで琉球王国の居城かつ政治の中心。正殿が西を向かって建ち、その前に御庭と呼ばれる儀式の場がある。その周囲を1,000m以上ある城壁が地形に合わせた曲線を描きつつ囲んでいる。
②今帰仁城跡→丘の斜面を利用して築かれた城壁。うねるような曲線で高さ3~8m、厚さ平均3mで、総延長は1,500mにもなる。
③座喜味城跡→小規模なグスク。沖縄最古と言われるアーチ型の城門や城壁が良好な状態で残っている。
④勝連城跡→垂直に曲輪を設けているのが特徴。
⑤中城城跡→優美な平面的曲輪配置をとる。
◯4つの関連遺産について
→祭祀の場であった園比屋武御嶽の石門と斎場御嶽、陵墓の玉陵、王族庭園の識名園が登録されている。
→これらは王族の陵墓や聖域、王家の別邸や祭政の場として利用されており、琉球王国の生活様式や価値観、独自の信仰境内を今に伝えている。
■5つのグスクの内容を覚えることと、城塞の造りの違いや、その位置関係も覚えるのが大事。
Wikipedia→琉球王国のグスク及び関連遺産群
【19】百舌鳥・古市古墳群
(文)大阪 2019年(Ⅲ)(Ⅳ)
百舌鳥エリアと古市エリアの45件49基大小様々な古墳で構成されている。
◯百舌鳥エリア(大阪府堺市)
日本最大の前方後円噴「仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)」が代表的。
他に「孫太夫山古墳」「履中天皇陵古墳(ミサンザイ古墳)」「いたすけ古墳」「ニサンザイ古墳」など。
◯古市エリア(大阪府藤井寺市・羽曳野市)
大きさは日本2位「応神天皇陵古墳(誉田御廟山古墳)」が代表的。
他に「津堂城山古墳」「仲哀天皇陵古墳」など
◯仁徳天皇陵のような大きな古墳には陪冢(ばいちょう)と呼ばれる小型の古墳が付随されることがあり、構成資産としては合わせて1件となるので、構成資産数と古墳の数は異なる。
◯古墳の標準的な形式4つ「前方後円噴」「帆立貝形噴」「円噴」「方噴」を含んでいる。
◯大阪湾を行き来する船から、港に対して長辺を向ける巨大古墳がよく見えたと考えられている。
■百舌鳥エリアと古市エリアの代表的な古墳を覚えておく。古墳の役割、歴史も抑えておくとなお良し。
Wikipedia→百舌鳥・古市古墳群
【20】知床
(自)北海道 2005年 (Ⅸ)(Ⅹ)
◯北海道北東端にある、海と陸が育む複合生態系が特徴の場所。
◯オホーツク海に面したウトロ側
→農業や観光が主要産業
◯根室海峡に面した羅臼側
→漁業が主要産業
◯北緯約44度で地球上の最も低い緯度で海水が結氷する季節海氷域にあたる。
◯知床の食物連鎖は海と陸が連続する特異な生態系を育んでいる。
→シマフクロウやオジロワシが生息、オオワシの越冬地で、ヒグマの生息密度は世界で最も高い。
◯生物多様性の豊かさから日本の自然遺産で唯一、登録基準(Ⅹ)を認められている。
◯豊かな生態系を保護する運動や
→「しれとこ100平方メートル運動」は市民の寄付で土地を買い取る運動。
→「100平方メートル運動の森・トラスト」は1997年から上記運動から発展した、原生の森へ復元する運動。
◯環境保護と観光を両立するため「知床エコツーリズム推進協議会」を設置し、エコツーリズムに力をいれている。
■日本唯一の登録基準(Ⅹ)が認定。ウトロと羅臼の気候と産業の違い。季節海氷域と食物連鎖の関連。特異な生態系とその動物の種類。知床を守るための運動各種など、覚えることは多いので整理して覚える。
Wikipedia→知床
【21】白神山地
(自)青森・秋田 1993年 (Ⅸ)
◯青森県南西部と秋田県北西部をまたぐところで、原生林の中心170平方kmが世界遺産になっている。
◯ブナなどの落葉広葉樹林が比較的原生的な状態で残されている。
◯ 日本列島でも極めて早い速度での隆起
→大量の水分で地滑りが多く、河川や谷が生まれ、隆起と崩落の繰り返しがあった。
◯固有種アオモリマンテマなどの植物。
◯ニホンカモシカやツキノワグマ、クマゲラやイヌワシなどが生息。
■重要ワードはブナ、アオモリマンテマ、クマゲラ。隆起と崩落を繰り返して生まれた地形は水分の循環作用が機能している。
Wikipedia→白神山地
【22】小笠原諸島
(自)東京 2011年 (Ⅸ)
◯日本から約1,000km離れた太平洋上にある小笠原諸島。
◯プレートの沈みこみから誕生した海洋性島孤である。
→父島ではプレートの活動により島が誕生した際に地上に露出したボニナイトを見ることができる。
◯登録範囲は小笠原諸島の陸域と父島、母島周辺の海域の一部。
◯独自の進化→適応放散
→陸産貝類と維管束植物が固有率高い。
→昆虫は25%、陸産貝類の95%が固有種
→哺乳類の固有種はオガサワラオオコウモリのみ
外来種のグリーンアノール対策が課題。
■登録範囲の確認と、植物と動物の固有率と種類を覚える。
Wikipedia→小笠原諸島
※余談ですが、実際に小笠原に強行で行ったことがありますのでその船旅も日記として書いております、良かったら見てください。(ほぼ船に乗ってるだけですが)
小笠原への船旅日記→【コロプラ】29小笠原強行旅日記
【23】屋久島
(自)鹿児島 1993年 (Ⅶ)(Ⅸ)
◯洋上のアルプスと呼ばれる特徴的な地形。
Wikipedia→屋久島
「月に35日雨が降る」と例えられる屋久島。
→ 亜熱帯から亜寒帯まで植生が移り変わる垂直分布が特徴のひとつ。
樹齢1,000年をこえる屋久島固有のスギを屋久杉と呼ぶ。
◯日本の自然遺産で唯一、自然美を評価する登録基準(Ⅶ)が認められている。
おわりに
得点配分でも「日本の遺産」が占める割合は高いので大事ですね。個人的には石見銀山や紀伊山地、グスクあたりが苦手なので重点的に覚えたいと思っています。
明日は「世界で最初の世界遺産/文化的景観」についてです!
※2021年5月28日追記~新しい世界遺産が日本に増えるかもしれないので。
2021年5月10日に自然遺産候補の「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」(鹿児島県、沖縄県)が登録勧告された。
そして加えて青森県の三内丸山遺跡など「北海道・北東北の縄文遺跡群」(北海道、青森県、岩手県、秋田県)も世界文化遺産に登録するよう勧告した。
7月16~31日に開かれるユネスコの世界遺産委員会での決議を経て正式に決まるので今年一気に2つ増えるかもしれません!楽しみですね!
ではではー🐥
世界遺産検定2級→03世界で最初の世界遺産/文化的景観
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