【世界遺産】13商業・交易・貿易/混ざりあう文化(文化交流)
こんばんは、世界遺産検定マイスターのみや兄です!世界遺産検定2級合格に向けての勉強シリーズです。
「くわしく学ぶ世界遺産300 世界遺産検定2級公式テキスト」を中心に自分の苦手ポイントメモなどを加えていきたいと思います。
Amazon→くわしく学ぶ世界遺産300 世界遺産検定2級公式テキスト
Amazon→世界遺産検定公式過去問題集1・2級〈2021年度版〉
今日は第13回目ということで「商業・交易・貿易/混ざりあう文化(文化交流)」です
■商業・交易・貿易
◯ベルゲンのブリッゲン地区
(文)ノルウェー 1979年 (Ⅲ)
◯スカンジナビア半島南西部岸部のベルゲン。
→13世紀にハンザ同盟の拠点が置かれていた港湾都市。
→在外ハンザ商人の居留地となったブリッゲン地区は干鱈の取り引きで発展。
→海に面した三角屋根のカラフルな木造家屋の街並みは1955年の火災後に再建されたもの。
→ブリッゲン地区の住居は入口の狭い木造家屋で、火災の被害をおさえるために中庭が設けられている。
→1761年建設のハンザ同盟の会議場「ショートスチュエーネ」も火災にあったが、粗石造りの共同金庫に保管されていま書類や議事録は被害を受けなかった。
→2つの塔を備えた聖母マリア聖堂は12世紀に建てられたもの。ベルゲン在住のドイツ人のための聖堂だった。
→ハンザ商人の倉庫兼住居だったハンザ博物館には、ハンザ同盟時代の船や家具が展示されている。
■ノルウェーのベルゲンはハンザ同盟の拠点。在外ハンザ商人はベルゲンの他はロシアのノヴゴロド、イングランドのロンドン、フランドルのブリュージュがあった。会議場「ショートスチュエーネ」も難しい単語なので覚えたい。
Wikipedia→ベルゲンのブリッゲン地区
◯ブリュッセルのグラン・プラス
(文)ベルギー 1998年(Ⅱ)(Ⅳ)
◯ベルギーのブリュッセル
→ケルンとフランドル地方を結ぶ交通の要所。
→13~14世紀にはギルドも出現
→街の中心にある大広場グラン=プラスの周辺にはさまざまな職人や商人のギルドハウスが立ち並んだ。
→1695年にフランス軍がルイ14世の命を受けて侵攻してくる。
→ブリュッセルは多くの建造物を焼失したが…
→ギルドの人々の努力によって街はわずか4年で再建した。
→新たなギルドハウスは木造からバロック様式を取り入れた石造りへと変更された。
■グラン=プラスはブリュッセルの大広場。ギルドハウスの変遷は凄いインパクトがあるので覚えやすいかも。
Wikipedia→ブリュッセルのグラン・プラス
◯リヴァプール海商都市
(文)イギリス 2004年/2012年危機遺産登録 (Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)【危機遺産】
◯イングランドマージーサイド州の港湾都市
→18世紀に三角貿易の拠点となった大英帝国の絶頂期を支えた港湾都市。
→ヘッド桟橋地域(ピア・ヘッド)やスタンレー造船管理区など6地区が世界遺産に登録された。
→19世紀半ばに開設したアルバート造船地区には、世界で最初の耐火性の倉庫がある。
→2012年、ウォーターフロント計画が歴史的な街の景観を損なうとして危機遺産登録された。
■イギリスの絶頂期を支えた港町。世界で最初の耐火性の倉庫があるところはポイント。危機遺産になったのは景観を損なう恐れから。
Wikipedia→リヴァプール海商都市
◯ジッダの歴史地区:メッカの入口
(文)サウジアラビア 2014年(Ⅱ)(Ⅳ)(Ⅵ)
◯サウジアラビアの海の玄関口。
→7世紀、3代目正統カリフのウスマーン・イブン・アッファーンがメッカの正式な貿易港と定める。
→ジッダはメッカ巡礼(ハッジ)における海の玄関口として役割を果たした。
→ジッダの歴史地区にはモスクや広場が残り、19世紀後半に富裕商人により建てられた木製出窓付きの建物や紅海のサンゴを用いた家などがある。
→かつて紅海の両岸に一般的だった伝統的建築をいまに伝える。
→高温多湿なこの地に適した通気性を重視した設計。
■メッカ巡礼のために発展したこと、紅海の両岸の建築、文化を伝えている。メッカ巡礼(=ハッジ)
Wikipedia→ジッダの歴史地区:メッカの入口
◯ペルシア湾の真珠産業関連遺産:島嶼経済の証拠
(文)バーレーン 2012年(Ⅲ)
◯ペルシア湾バーレーン ムハラク島
→ペルシア湾一帯は真珠の産地として名高く、バーレーン近海では2世紀から真珠産業が栄えた。
→ムハラク市内の17の建造物、沖合にある3つの真珠貝養殖床、海岸線沿いの真珠商人の住居や店舗、倉庫やモスクなどの建造物、ムハラク島の南端に位置するカラット・ブ・マヒール要塞などが世界遺産に登録されている。
→1930年代に日本で真珠養殖の方法が確立されると廃れた。
■ペルシア湾は真珠産業が栄えていたこと。世界遺産登録されているものの確認、真珠貝養殖床とカラット・ブ・マヒール要塞は特に覚えたい。
Wikipedia→ペルシア湾の真珠産業関連遺産:島嶼経済の証拠
◯ヴェネツィアとその潟
(文)イタリア 1987年(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅴ)(Ⅵ)
◯イタリア北東部アドリア海の最深部に位置するヴェネツィア。
→潟に点在する118の島々からなる水上都市。
→9世紀に建設された、キリスト教の聖人 聖マルコの聖遺物を祀るサン・マルコ大聖堂
→ヴェネツィア共和国総督の邸宅へ改築されたドゥカーレ宮殿などの建造物が残る。
→現在は地下水や天然ガスの採取が原因と考えられる地盤沈下が問題となっている。
■ヴェネツィアはサン・マルコ大聖堂はチェック。
Wikipedia→ヴェネツィアとその潟
◯ロロペニの遺跡群
(文)ブルキナファソ 2009年(Ⅲ)
◯西アフリカのブルキナファソにあるロロペニ遺跡。
→ロロペニ遺跡はかつてサハラ砂漠の黄金貿易を支えた都市の遺構。
→ロロペニは金の抽出と精錬が盛んで14~17世紀に最盛期を迎えた。
→崩れた石壁の残る10の砦が遺産範囲に登録されているが、現在も多くの遺構が未発掘のままである。
■ブルキナファソのロロペニ。サハラ砂漠の黄金貿易と結びつけて覚える。あまり聞かないので忘れないようにしたい。
Wikipedia→ロロペニの遺跡群
◯レブカ歴史的港湾都市
(文)フィジー 2013年(Ⅱ)(Ⅳ)
◯フィジーのオバラウ島の港町レブカ
→オセアニアとヨーロッパの文化が融合したコロニアル様式の建造物が立ち並ぶ。
→レブカはイギリスの保護領になると最初の首都となったが、その8年後にスバに遷都された。
→ココヤシ保管庫や港湾施設、商業・宗教施設、住居といった建造物が当時の面影をとどめたまま残っている。
■レブカはフィジーのオバラウ島。覚えられなそうなので呪文のように唱える。コロニアル様式は植民地に建てられる西欧式建築を指し、しばしばその土地の建築様式と融合している。
Wikipedia→レブカ歴史的港湾都市
◯隊商都市ペトラ
(文)ヨルダン 1985年(Ⅰ)(Ⅲ)(Ⅳ)
◯ヨルダン南部の渓谷に位置するペトラ
→紀元前4世紀頃にこの地に定住したナバテア(ナバタイ)人が築いた隊商都市の遺跡。
→死海と紅海の間に位置し、アラビアの香料や中国の絹、インドの香辛料の貿易中継地として栄えた。
→王家の墳墓と考えられるアル・カズネに代表される岩を削り出した壮観な建築様式。
→ダムや水路といった水利システムを完備した高い都市機能。
→ヘレニズムやローマの影響を受けた建築も残るが、19世紀に発掘されたこの遺跡はまだ大部分が未発掘とされる。
■隊商都市という名前から貿易の中継地はすぐ結びつく。死海と紅海の間、ナバタイ人、アル・カズネといったキーワードを覚えておく。国はヨルダン。
Wikipedia→隊商都市ペトラ
◯バムとその文化的景観
(文)イラン 2004年/2007年範囲拡大(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅴ)
◯イラン南部のバム
→紀元前からの歴史を持つオアシス都市。
→7~11世紀頃に繁栄した街はアルゲ・バム(バム城塞)を約2kmの城塞が囲む三重構造を持つ要塞都市。
→2003年の大地震で街は大きな被害を受け、危機遺産に緊急登録。
→修復保全計画が認められ現在は危機遺産を脱した。
■アルゲ・バムの役割をきちんと覚えておく。イランの遺跡で地震で危機遺産になるも今は脱している。
Wikipedia→バムとその文化的景観
■混ざりあう文化(文化交流)
◯ストラスブール:グラン・ディルからヌースタットのヨーロッパの都市景観
(文)フランス 1988年/2017年範囲拡大(Ⅱ)(Ⅳ)
◯フランス東部アルザス地方の中心都市ストラスブール。
→ライン川を挟んでドイツと国境を接する。
→旧市街はイル川の中洲にありグラン・ディル(大きな島)と呼ばれる。
→ドイツ語で「街道の街」を意味し、その名の通り、多くの人と物が行き交う交通の要衝として発展。
→中世末期からはドイツ人文主義の中心地になり文化面でも重要な役割を果たす。
→17~20世紀にかけてフランスとドイツで領有権の争い、それが仏独の文化の融合につながる。
→旧市街は赤砂岩を用いたゴシック様式の大聖堂をはじめ、歴史的な建造物が残る。
→プティット・フランス地区にはコロンバージュ(ハーフティンバー)と呼ばれる柱や梁を外壁に露出させたアルザス伝統の木組みの家々が並んでいる。
→20世紀後半には欧州議会が置かれるなどEUの中枢としても機能し、ヨーロッパ統合を象徴する都市という新たな面も見せている。
■ストラスブールはアルザスの中心地。ドイツとフランスで領地争い。そのぶん文化は融合。現在は欧州議会が置かれている。
Wikipedia→ストラスブール:グラン・ディルからヌースタットのヨーロッパの都市景観
◯セビーリャの大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館
(文)スペイン 1987年/2010年範囲変更(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅵ)
◯スペイン南西部セビーリャ
→ヨーロッパとイスラムが融合した建造物が立ち並ぶ。
→8~12世紀にイスラム勢力が支配したこの地を13世紀にキリスト教徒がレコンキスタで奪還。
→アラビア語で宮殿を意味するアルカサルはイスラム、ムデハル、ゴシック、ルネサンスの4つの様式が混在する宮殿となった。
→スペイン最大の大聖堂はモスクを改装したもので、ミナレットを転用したヒラルダの塔と呼ばれる鐘楼が残る。
■セビーリャに残る建物はヨーロッパとイスラムが融合したものが多い。イスラム教徒からキリスト教徒が奪い返した背景。ヒラルダの塔もミナレットからの転用。
Wikipedia→セビーリャの大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館
◯グラナダのアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、アルバイシン地区
(文)1984年/1994年範囲拡大(Ⅰ)(Ⅲ)(Ⅳ)
◯スペイン南部グラナダ
→アルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、アルバイシン地区はイベリア半島最後のイスラム王朝ナスル朝(グラナダ王国)時代に築かれた。
→アルハンブラ宮殿は1238年にムハンマド1世が着工。
→イスラム文化の特徴アラベスク文様で飾られた幻想的な空間が広がる。
→宮殿の中心には王のプライベート空間「ライオン宮」と、王が公務を行う「コマーレス宮殿」がある。
■アルハンブラ宮殿とナスル朝、そしてイベリア半島最後のイスラム王朝という点がポイント。
Wikipedia→グラナダのアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、アルバイシン地区
◯カザン・クレムリンの歴史的建築遺産群
(文)ロシア 2000年(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)
◯ロシア西部沿ヴォルガ川連邦管区タタールスタン共和国の首都カザン
→イスラムとロシア正教の影響を受けた歴史的建築物が立ち並ぶ。
→10世紀頃 ヴォルガ・ボルガル人が城塞を築き交易都市として栄えた。
→13世紀 モンゴルが侵攻するとタタール人によるジョチ・ウルス(キプチャクハン国)、カザンハン国が統治する
→この厳しい時代は「タタールのくびき」と呼ばれた。
→城塞にはクル・シャリフ・モスクに代表されるイスラム建築が建てられたが、1552年にイワン雷帝がカザンを征服、モスクを破壊しロシア正教化へ。
→1562年完成のブラゴヴェシンスキー大聖堂はカザンに特有の砂岩づくりの大聖堂で、クレムリン最古の建築とされる。
→クレムリン中最も高い6層58mのシュユンベキ塔には、イタリア建築の影響も指摘されている。
→2005年にはクル・シャリフ・モスクがクレムリンの城塞内に再建。
→4つのミナレットを持つヨーロッパ最大規模のモスク。
■カザンはロシアなのは知っていたが、タタールスタン共和国の首都というところも覚えなくてはいけないと感じた。タタール人の流れも加えて関連づけて覚える。イスラムとロシア正教の融合、ブラゴヴェシンスキー大聖堂とシュユンベキ塔は覚えにくいので何回も口に出して覚える。
Wikipedia→カザン・クレムリンの歴史的建築遺産群
◯ペルシア庭園
(文)イラン 2011年(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)
◯イラン国内各州に点在する9つの庭園
→その様式はアケメネス朝ペルシアの初代皇帝キュロス2世の時代にルーツをもつ。
→ゾロアスター教の「空」「大地」「水」「植物」の役割をもつ区画に四分割された特徴的な設計。
→敷地内部を幾何学的に分割した四分庭園(チャハル・バーグ)様式の設計は、後世の西アジア諸国、インド、スペインの庭園芸術にも影響を与えた。
■イラン国内9つに点在する。キュロス2世が出てくる。ユートピアを具現化した庭園。チャハル・バーグも覚える。
Wikipedia→ペルシア庭園
◯チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(旧名ヴィクトリア・ターミナス)
(文)インド 2004年(Ⅱ)(Ⅳ)
◯インド西部ムンバイ(ボンベイ)にある駅。
→インドの伝統的な様式を取り込んだ、英国ヴィクトリア朝のゴシック・リバイバル様式の傑作作品。
→イギリス人建築家F.W.スティーヴンスにより1878年から10年以上かけて完成。
→ゴシック建築の都市ムンバイの象徴となった。
→石づくりドームや小塔、平面プランにはインドの伝統的な宮殿建築の要素がみられ、イギリスとインドの文化の融合を示している。
→インド亜大陸における最初のターミナル駅で、ムンバイの経済活動を支え続けている。
■声に出して読みたいランキング1位のチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(主観)です。イギリスとインドの文化の融合、ゴシック建築の都市ムンバイの象徴。
Wikipedia→チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(旧名ヴィクトリア・ターミナス)
おわりに
商業・交易・貿易については、あまり聞き馴染みのない遺産名が多く出ていたので、特に努力して覚えていくようにする。どのような文化とどんな交易が盛んだったかを調べながら覚えると良いと思います。
混ざり合う文化(文化交流)については、どことどこの文化が混ざっているのか、そしてどう混ざっているのかを整理して覚える。歴史の流れを振り返りながら覚えるのも良いと思いました。
世界遺産検定2級→14近代国家/産業遺産/未来への教訓
世界遺産検定2級→(目次へ)
Twitter→@miyabomber0101
“【世界遺産】13商業・交易・貿易/混ざりあう文化(文化交流)” に対して2件のコメントがあります。