【保育】つくしとタンポポとふきのとうからもらった春の訪れと移ろい
こんにちは、みや兄です🐥
保育士として春の訪れと移ろいを子どもたちに伝えるようなこともしています。
自然の中で、自分達で色々気づき、私達はそのヒントをそっと与えるくらいで良いのです。
こちらから何でも教えるのではなく、自分で疑問を持ったことを聞いてきたら、こたえてあげるのが良いのかな、と。
なるべく自ら考える力をつけてほしいことや、大人が考えないような突拍子もないアイディアがたくさん生まれるようになってほしいなぁ、と思っています。
つくしを見たときにみんな大興奮です。「これが図鑑でみたあのつくしか!!」みたいな感じでつくしを愛でます。
目で見て、さわって、においをかいだりもして、“感じる”。五感をフルに使ってつくしとふれあう子どもたち。
「つくしさんも生きてるから抜くのはやめてねー」と教えるとちゃんと優しくしてくれます。
この写真を撮る前にも一度見にきていたので、数の違いや大きく育ってることを発見していました。
小さいつくし、大きいつくしをそれぞれの身長に当てはめて「このつくしは◯◯ちゃんで、こっちは△△くんかな?」みたいな会話も。
つくし一つで子どもたちの物語は広がっていくんですよね、まずつくしって何なんだ、つくしの頭には何が入ってるんだ、と。
際限なく会話が広がりますが、唐突に物語は終結します。そう新しい物語をみんなで発見してしまったのです。
タンポポを発見しました、新しい物語が始まります。
ただ、今回は少し元気のなさそうなタンポポ。以前きたときはもっと力強く咲いていました。
タンポポも少しずつ咲き終わってきたところ、「元気だしてね」「お腹すいたのかな?」などタンポポに気遣っている言葉もありました。
春の訪れと移ろいを教えるのは、生命の誕生と終わりを教えるのに近いのかな、と。
直接的ではなく比喩的にぼんやりと伝えながら、ただ嘘は教えてはいけないので伝えるべきところを伝えるのが大事かな、と。
子どもたちに伝えるときに大切にしたいのは教え育てること。字のごとく“教育”をするためには根幹にそういう部分が必要。
大人も知識をフルに活用しつつ、自分のやりたい保育についても保育のベースがぶれなければそれぞれの保育士の色を出しながら教え育てていくでいいのかな、と。
そんなことを思いながらタンポポと戯れる子どもたちの背中をみていました。
さて、今日最後の物語に移るとしましょう。つくし、タンポポと続いて現れたのは
ふきのとうです。小学校の国語の教科書にも出てきたあのふきのとうです。
このふきのとうは花開いていて、よく見るふきのとうの姿ではないかもしれません。
ふきのとうが小さい蕾から少し顔を出していく(天ぷらにすると美味しい)時期がベーシックなふきのとうの姿かと思われます。
ただ、子どもたちにとっては今のふきのとうがふきのとうなのです。
以前の小さい姿も見ていたので「大きくなってる!」「緑から白いのになった」みたいな声が。
春の訪れと移ろいの中でふきのとうだけは元気になっているように子どもたちには見えたのです。
春の終わりは儚さだけではないんだと言わんばかりに嬉しそうにふきのとうを覗き込む。
「春も終わりだね」と言いかけたのですが、ふきのとうだけは終わりという言葉が似合わない感じで力強く咲いていました。
春から夏へ続く中で植物の力強さというものも感じられると思います。
子どもたちが率直に感じた言葉を拾うためにも、大人が先入観与えないようにまずは「子どもたちの想いに耳を傾けてから、受け取った言葉を拾い、そしてその時ベストの答えを返してあげればいい」のかな、と思います。
つくしもタンポポもふきのとうも、いつのまにかその姿を消していくと思いますが、すぐに夏の訪れを子どもたちは見つけて、新しい発見から新しい物語を紡いでいくと思います。
また新しい春になるときに今日のこの日を思い出して、新しい世界を広げてくれればいいな、と思います。
今日は珍しく真面目に保育の話をしてみました、ありがとうございました!
ではではー🐥
みや兄Twitter→@miyabomber0101