【世界遺産】27時間目 都市遺跡②~アジアの世界遺産
こんばんは、世界遺産検定マイスターのみや兄です!世界遺産検定1級合格に向けての勉強シリーズです。
公式テキストである「すべてがわかる世界遺産大事典(上)(中)(下)」を中心に自分の苦手ポイントメモなどを加えていきたいと思います。
【世界遺産検定1級 公式テキスト】
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今日は27時間目ということで「27都市遺跡②」です
■27都市遺跡②
◯ファールス地方にあるササン朝の考古学的景観 ③ー14
(文)イラン 2018年
登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅴ)
◯場所
イラン南部のファールス地方にある8つの考古遺跡。
◯歴史
224年から651年までササン朝はこの地域まで広がっていた。
◯ファールス地方にあるササン朝の考古学的景観の特徴
要塞化された建造物や宮殿、都市はササン朝の初期から後期にかけて作られたもの。
ササン朝の始祖アルダシール1世が築いた軍事拠点、最初の首都や、後継者のシャープール1世が築いた街や建造物が残る。
当時の人々が自然地質学を最適に利用していたことがわかる。
ササン朝からイスラム時代への移り変わりや、アケメネス朝やパルティアの文化的伝統、ローマ芸術の影響も伝えている。
■ササン朝初期の首都、アルダシール1世が築いた。ファールス地方は覚えにくいので場所も覚えたい。
Wikipedia→ファールス地方にあるササン朝の考古学的景観
◯ソルターニーイェ ③ー15
(文)イラン 2005年
登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)
◯場所
首都テヘランから北西に約300km、ザンジャーン州にあるソルターニーイェ。
◯歴史
イル・ハン国の首都として発展した都市。
13世紀 チンギス・ハンの孫フラグによってイル・ハン国は建国。
13世紀~15世紀にかけて栄えた。
1295年~1304年のガザン・ハン治世にイスラム教を国教化。
多くのイスラム建築が造られるようになったが、イル・ハン国の国勢が衰えるとソルターニーイェも衰退していった。
◯ソルターニーイェの特徴
数多くの霊廟などの遺跡が世界遺産に登録されている。
代表する建築物はイスラム様式のオルジェイトゥ廟。1302年から1312年にかけて作られた第8代君主オルジェイトゥの霊廟。
8基のミナレットを備え、青いタイルで覆われた高さ約50mの八角形のドームを持つ。このドームは屋根と天井が分かれた二重構造となっており、同様のドームとしてはイランで最初のもの。
内部の装飾は美しさは傑出したもので、全体構造や空間構成、装飾技法などにおいてイル・ハン国時代に建てられたペルシア建築を代表する建築物であるとされる。
オルジェイトゥ廟はこの後の中央アジア・西アジアのイスラム建築に影響を与えたとされ、カザフスタンのホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟もその1つ。
■ソルターニーイェはイル・ハン国の首都。代表建築物はオルジェイトゥ廟。その後影響を与えた建築物にホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟がある。
Wikipedia→ソルターニーイェ
◯古代都市サーマッラー ③ー16
(文)イラク 2007年/2007年危機遺産
登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)
◯場所
バグダードの北西約130km、ティグリス川沿いにあるのがサーマッラー。
◯歴史
836年~892年にアッバース朝の首都として繁栄した都市の遺跡が残る。
◯古代都市マッサーラーの特徴
シーア派の聖地。アッバース朝の都市遺跡では唯一原形を残すものとされ、都市プラン(平面構成)、建築物、モザイクや彫刻などが残っている。
主な建築物 当時世界最大だった大モスクとこれに付随するマルウィーヤと呼ばれる螺旋状ミナレット(尖塔)、イスラム世界最大規模のカリフの宮殿など。
8割が未発掘とされているが、イラクの政情不安のため、世界遺産登録と共に危機遺産リストにも記載された。
■アッバース朝の首都として繁栄した都市遺跡。「イラクの至宝」とされるミナレットを持つ都市遺跡。
Wikipedia→古代都市サーマッラー
◯クフナーウルゲンチ ③ー17
(文)トルクメニスタン 2005年
登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)
◯場所
トルクメニスタン北部。
◯歴史
アケメネス朝ペルシア時代から栄えた都市。
10世紀末 アム川下流域を中心にしたホラズム朝の首都となり、イスラム化した。
クフナは「旧」という意味、ウズベキスタンにある現在のウルゲンチへ16世紀に都市機能が移った。
◯クフナーウルゲンチの特徴
旧市街には11~16世紀のモスクや隊商宿、要塞、スルタン・テケシュ廟などの霊廟、ミナレットが残る。
卓越した建築技術が見られ、その影響はイランやアフガニスタン、後にはムガル帝国にも及んだ。
■クフナーウルゲンチは「旧ウルゲンチ」で、「現在のウルゲンチ」はウズベキスタンにある。クフナーウルゲンチはトルクメニスタン。ホラズム朝の首都となった。スルタン・テケシュ廟が代表的建造物。
Wikipedia→クフナーウルゲンチ
◯ポロンナルワの古代都市 ③ー18
(文)スリランカ 1982年
登録基準(Ⅰ)(Ⅲ)(Ⅵ)
◯場所
スリランカ中部。
◯歴史
11~13世紀に栄えた、アヌラーダプラに次ぐシンハラ王国2番目の都。
12世紀後半 パラークラマ・バーフ1世によって大改修され最盛期を迎えた。
◯ポロンナルワの古代都市の特徴
パラークラマ・サムードラと呼ばれる人工湖が作られ、灌漑設備を充実させるとともに1,000もの部屋がある7階建てのウェジャヤンタパーサーダ宮殿を王宮として建てた。
数々の寺院が建立され、ガル・ヴィハーラ寺院の全長約13mの涅槃仏や巨大な座像、立像が作られ、スリランカ仏教芸術の傑作とされている。
■スリランカ仏教芸術の傑作が集まる仏教都市。パラークラマ・バーフ1世の覚え方を知りたい(他力本願)
Wikipedia→ポロンナルワの古代都市
◯シルヴァンシャー宮殿と乙女の塔のある城壁都市バクー ③ー19
(文)アゼルバイジャン 2000年
登録基準(Ⅳ)
◯場所
カスピ海に面するアブシェロン半島にあるアゼルバイジャンの首都バクー。
◯歴史
古くから交通の要衝として発展。
9~10世紀頃から油田の採掘で繁栄した。
◯シルヴァンシャー宮殿~の特徴
ペルシア、オスマン帝国、ロシアなど多様な文化の影響を受けた歴史的建造物が残る。
城壁内(イチェリ・シェヘル)にはモスクやゾロアスター教寺院などがある。
12世紀建造の楕円形の見張り塔である乙女の塔
15世紀にシルヴァン朝によって建造されたシルヴァンシャー宮殿はアゼルバイジャン建築の傑作とされる。
2000年の地震の被害や都市開発の影響で2003年に危機遺産リストに記載されたが2009年に脱した。
■シルヴァン朝のシルヴァンシャー宮殿は覚えやすいけど、アゼルバイジャンにどう結びつけていけば良いものか。
Wikipedia→シルヴァンシャー宮殿と乙女の塔のある城壁都市バクー
◯アンジャル ③ー20
(文)レバノン 1984年
登録基準(Ⅲ)(Ⅳ)
◯場所
レバノン東部のアンジャル
◯歴史
8世紀初頭 ウマイヤ朝のカリフであるアル・ワリード1世が保養地として建設した都市で、レバノン唯一のウマイヤ朝の遺跡。
◯アンジャルの特徴
この一帯に残されたローマ帝国やビザンツ帝国の遺構を転用して作られた。
アンジャルの中心には王宮が設けられ、その周囲に公共浴場やモスク、従者の住居や多数の商店が置かれた。
現在ではビザンツ帝国時代の聖堂建築様式による2層アーチを持つ王宮の一部が復元されている。
■レバノンの世界遺産、アル・ワリード1世、アンジャルというキーワード。ウマイヤ朝はうまい野鳥と覚えましょう。
Wikipedia→アンジャル
◯タッタとマクリの歴史的建造物群 ③ー21
(文)パキスタン 1981年
登録基準(Ⅲ)
◯場所
パキスタン南部のタッタ
◯歴史
14~18世紀にかけてインダス川の港湾都市として栄えた。
シンド地方を支配したサンマー朝、アルグン朝、タルハーン朝の3王朝の首都が置かれた。
18世紀半ばにペルシアの攻撃を受け滅亡した。
◯ タッタとマクリの歴史的建造物群の特徴
シンド地方の名はインダス川の古名シンドゥに由来。
1647年に作られたシャー・ジャハーン・モスクのほか、ムガル帝国5代皇帝シャー・ジャハーンの命により1658年に完成。
青を基調とした彩釉タイルや彩釉レンガで覆われた美しいジャミー・マスジド(金曜モスク)が残る。
近郊のマクリの丘はイスラム世界最大の墓地で多くの墳墓が残る。
■3王朝の首都となったインダスの交易都市タッタ。シンド地方はシンドゥ=インダス川の古名というエピソードから思い出す。シャー・ジャハーンはここでもでてきましたね。
Wikipedia→タッタとマクリの歴史的建造物群
◯ウンム・アッラサス(カストロム・メファア) ③ー22
(文)ヨルダン 2004年
登録基準(Ⅰ)(Ⅳ)(Ⅵ)
◯場所
ヨルダン中部マダバ郡にあるウンム・アッラサス
◯歴史
3世紀末のローマ時代からビザンツ時代、9世紀のイスラム時代までの建物が残る。
ローマ軍の駐留地として建設され、5世紀に入ると街に発展した。
◯ウンム・アッラサスの特徴
要塞など遺跡の大部分はまだ発掘されてないが、保存状態の良いモザイク張りの床面がある聖堂の遺跡がいくつか確認されている。
聖ステファン聖堂の床のモザイク画は当時の街の様子を伝える貴重なもの。
ビザンツ帝国時代に建てられた2基の四角柱の塔が残っており、禁欲僧が柱や塔の上でひとりきりで時間を柱上修行に用いられた。
■ウンム・アッラサスって覚えられない。ローマからイスラム時代にかけての遺構を残す都市遺跡。
Wikipedia→ウンム・アッラサス(カストロム・メファア)
◯ディライーヤのツライフ地区 ③ー23
(文)サウジアラビア 2010年
登録基準(Ⅳ)(Ⅴ)(Ⅵ)
◯場所
アラビア半島の中央部 サウジアラビアの首都リヤドの北西に位置するディライーヤ。
◯歴史
サウジアラビアのルーツであるサウード家発祥の地。
18~19世紀初頭にかけて、政治的、宗教的分野での役割が大きくなった。
ツライフ地区はサウード家の宮殿や行政機関が置かれ、権利の中心として栄えた。
ワッハーブ派によるイスラム教の改革運動における勢力拡大の拠点となった。
◯ディライーヤのツライフ地区の特徴
数多くの宮殿跡やオアシスのほとりの都市地区は、アラビア半島中央部でみられる独特の建築様式であるナジャディ様式を今に伝えている。
■ディライーヤはサウジアラビア発祥の地。サウード家はツライフ地区を中心に建造物や機関を置いた。ナジャディ様式も覚えておく。
Wikipedia→ディライーヤのツライフ地区
◯元の上都遺跡 ③ー24
(文)中国 2012年
登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)
◯場所
現在の内モンゴル自治区に位置する。
◯歴史
元のフビライ・ハンが1256年にモンゴル高原南部に設けた開平府を前身とし、中国の伝統的な風水理論に基づいて築かれた都。
元は大都(北京)を築くと、開平府は上都と改称、2つの都を交互に使用した。
◯元の上都遺跡の特徴
上都は夏の離宮として用いられ、皇帝が避暑と政務を行った。
上都はモンゴル族による遊牧文明と漢民族の農耕文明が融合した都市建設が特徴。
モンゴル人はチベット仏教を深く信仰し、元の拡大と共にアジアの東北部にも信仰が広まった。
遺跡には寺院、王宮、墓、遊牧民の夜営地や運河跡が残る。
■元の都、開平府が上都、北京が大都。フビライ・ハンが開平府を開いたところから始まること、風水理論に基づいた都がポイント。
Wikipedia→元の上都遺跡
◯開城歴史遺跡地区 ③ー25
(文)北朝鮮 2013年
登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)
◯場所
北朝鮮南部の開城。
◯歴史
10~14世紀まで栄えた高麗王朝の都が置かれた都市。
◯開城歴史遺跡地区の特徴
市内にある12の歴史的建造物が高麗王朝の歴史と文化を証明する遺産として登録。
王宮、王陵、関連建造物、城壁、門など旧都の風水的配置は、高麗王朝の政治的・文化的・哲学的・精神的な価値を体現している。
他に天文台、気象台、役人を育てる学校を含む2つの教育機関、記念石碑などが含まれる。
■仏教や儒教、風水などの思想に基づき築かれた旧都。
Wikipedia→開城歴史遺跡地区
おわりに
「27都市遺跡②」については都市遺跡のそれぞれの特徴、人物あたりをおさえるのは変わらず、聞きなれない遺産が多いので声に出して覚えていきたいです。
世界遺産検定の他にも色々なジャンルの記事を書いてますので気になるジャンルがありましたら読んでいただけると幸いです。
これからも生活の役に立つ記事、楽しい記事を少しずつ書いていきたいと思います!
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