【世界遺産】07イスラム教/仏教/世界の宗教
こんばんは、世界遺産検定マイスターのみや兄です!世界遺産検定2級合格に向けての勉強シリーズです。
「くわしく学ぶ世界遺産300 世界遺産検定2級公式テキスト」を中心に自分の苦手ポイントメモなどを加えていきたいと思います。
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今日は第7回目ということで「イスラム教/仏教/世界の宗教」です
■イスラム教
◯カイロの歴史地区
(文)エジプト 1979年 (Ⅰ)(Ⅴ)(Ⅵ)
◯10世紀半ばファーティマ朝がこの地を統治。
◯元々はミスル・アル=カーヒラという都市を英語読みしたのがカイロとなった。意味は「勝利者の軍事都市」。
→972年建設のアズハル・モスクはファーティマ朝を代表するモスクと言われる。
◯カイロのその後の歴史
→12世紀からアイユーブ朝の支配
→13~16世紀のマムルーク朝の時代には世界最大のイスラム都市となった。
→14世紀には「1,000のミナレットが立つ街」と称された。
◯カイロは現在、政情不安、不十分な遺産保護体制、弱い地盤による歴史的建築物の倒壊などの問題を抱えている。
■カイロの歴史とミナレットについてや、カイロの語源となったミスル・アル=カーヒラをおさえておく。
Wikipedia→カイロの歴史地区
◯ダマスカスの旧市街
(文)シリア 1979年/2011年範囲変更/2013年危機遺産登録 (Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)【危機遺産】
◯シリア南西部のダマスカス。
→『旧約聖書』にも記述が残る世界最古の都市のひとつ。
◯商業都市として繁栄
→交通の要衝で「砂漠のダイヤ」と呼ばれる繁栄を築いた。
◯125の歴史建造物
→現存する世界最古のモスクとされるウマイヤ・モスクは8世紀初頭にウマイヤ朝のアル・ワリード1世が建造。
→多柱式の礼拝空間やモザイク画の装飾は後のイスラム建築に影響を与えた。
◯2013年にシリアの世界遺産6件はすべて危機遺産リストに記載された。
■ダマスカスはウマイヤ朝の流れとウマイヤ・モスクについておさえる。シリアの遺産は6件すべて危機遺産。
Wikipedia→ダマスカスの旧市街
◯聖都カイラワーン
(文)チュニジア 1988年/2010年範囲変更 (Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅴ)(Ⅵ)
◯チュニジア北東のカイラワーン
→北アフリカの重要な聖地で巡礼者が多く訪れる。
◯9世紀にアグラブ朝の首都となり最盛期を迎えた。
◯シディ・ウクバ・モスク
→北アフリカに建設された最初のT字型モスクのひとつとされ、この地方のモスク建築に多大な影響を及ぼした。
■カイラワーンとアグラブ朝、T字型モスクの3点セットで覚えたい。
Wikipedia→聖都カイラワーン
◯ムザブの谷
(文)アルジェリア 1982年 (Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅴ)
◯アルジェの南約450km
→11~12世紀頃にかけてベルベル人の一派ムザブ族が築いた城塞都市が点在。
→ムザブ族はイスラム教少数派のイバード派を信仰していたことで迫害されこの地に逃れた。
◯カラフルな立方体の家屋
→雨がほとんど降らないが井戸を堀り、地下水路を建造しナツメヤシの木を植えてオアシス都市を築いた。
→ベージュやターコイズブルーに彩られた立方体の家屋が建ち並ぶ独特の都市景観は「キュビズム的」とも形容された。
■ムザブのキューブさんで覚えよう。国はアルジェリア。
Wikipedia→ムザブの谷
◯マラケシュの旧市街
(文)モロッコ 1985年 (Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅳ)(Ⅴ)
◯モロッコ中南部アトラス山脈のふもと。
→1071年にベルベル人が興したムラービト朝の首都。
→この時代から残るジャマーア・アル・フナー広場は活気溢れる景観から無形文化遺産「ジャマーア・アル・フナー広場の文化的空間」として登録されている。
◯三大ミナレットのひとつ
→ムワッヒド朝によって建てられたクトゥビーヤ・モスクは高さ69mのミナレット。
→スペインのヒラルダの塔、モロッコのハッサンの塔とともに三大ミナレットに数えられる。
■三大ミナレットのひとつクトゥビーヤ・モスクとジャマーア・アル・フナー広場の二つが重要ワード。
Wikipedia→マラケシュの旧市街
◯ラバト:近代の首都と歴史都市の側面を併せもつ都市
(文)モロッコ 2012年 (Ⅱ)(Ⅳ)
◯モロッコの首都ラバド
→歴史的なイスラム文化と近代的なヨーロッパ文化が共存。
→旧市街に残るウダイヤのカスバ(ムワッヒド城壁と城門)やハッサンの塔はムワッヒド朝の唯一の遺構。
◯近代的な都市計画に着手
→1912年にフランス領になるとアンリ・プロストが近代的な都市計画に着手。
→新市街には行政地区、住宅施設、試験植物園などが建設された。
→イスラム、マグレブ、ヨーロッパなどの文化が共存している。
■旧市街の遺構と新市街の都市計画の二点から覚える。ハッサンの塔は三大ミナレットの一つ。
Wikipedia→ラバト:近代の首都と歴史都市の側面を併せもつ都市
◯サナアの旧市街
(文)イエメン 1986年/2015年危機遺産登録 (Ⅳ)(Ⅴ)(Ⅵ)【危機遺産】
◯イエメンの首都
→ノアの息子セムが建設したという伝説。
→世界最古の都市のひとつ。
→紀元前10世紀頃から乳香交易によって繁栄していた。
◯サナア旧市街
→東西約1.5km、南北約1kmほどの楕円形。
→大モスク、100以上のモスク、64のミナレットなどの歴史的建造物や、迷路のように入りくんだスーク(市場)が残る。
◯スーク・アル・ミルフ
→城壁のイエメン門をくぐるとスーク・アル・ミルフと呼ばれる塩の市場を中心に、40もの区域にわかれたスークが広がる。
◯6000棟もの高層住宅。
→多くは5~6階建てで9階建てのもの、最大50mのものも。
→鉄筋などは一切使われず、花こう岩や玄武岩でできた土台に「アドベ」と呼ばれる日干しレンガを積み上げて造られている。
◯イエメン内線により爆撃を受け基金リストに記載された。
■スーク=市場ということを覚えておく。乳香交易とアドベもキーワード。
Wikipedia→サナアの旧市街
◯イスファハーンのイマーム広場
(文)イラン 1979年 (Ⅰ)(Ⅴ)(Ⅵ)
◯イラン中部のイスファハーン
→16世紀末サファヴィー朝の皇帝アッバース1世が首都と定めた。
→街の中心には2層構造のイマーム広場が広がる。
■「世界の半分」と言われたイスファハーンやアッバース1世はクイズでもおなじみなのでイマーム広場を覚えておく。
Wikipedia→イスファハーンのイマーム広場
◯メディナ・アサーラのカリフ都市
(文)スペイン 2018年 (Ⅲ )(Ⅳ)
◯イスラム教時代のイベリア半島の姿を伝える。
→メディナ・アサーラは10世紀半ばに後ウマイヤ朝によって築かれた都市遺跡。
→20世紀初頭に発見されるまで1,000年近くも忘れ去られていた。
→失われてしまったイベリア半島におけるイスラム文明を深く伝える道路、橋、水利システム、建物、装飾、日常品などが状態良く残される。
■メディナ・アサーラは後ウマイヤ朝、イベリア半島のイスラム文化というポイントをおさえる。
Wikipedia→メディナ・アサーラのカリフ都市
■仏教
◯サーンチーの仏教遺跡
(文)インド 1989年 (Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)
◯インド中部サーンチーの仏教遺跡
→3つの大型ストゥーパなどの仏教建造物
→最も古い第1ストゥーパはアショーカ王が作った84,000ものストゥーパの一つを核としている。
→ストゥーパの周囲には東西南北の4方向にトラナと呼ばれる大きな門が設置され精緻なレリーフが施されている。
■サーンチーの場所とストゥーパについて、トラナは覚える。
Wikipedia→サーンチーの仏教遺跡
◯仏陀の生誕地ルンビニー
(文)ネパール 1997年 (Ⅲ)(Ⅵ)
◯ネパール南部、ヒマラヤ山麓のタライ高原にあるルンビニー。
→仏教4大聖地のひとつ。(他の3つはブッダガヤ、サールナート、クシナガル)
→ブッダ生誕の地。
→紀元前250年頃アショーカ王がブッダの生誕地を示す石柱を建立。
→後6世紀頃にはマーヤーデヴィ寺院が建造された。
■仏教4大聖地はブッダの歴史と並行して覚えると良い。ルンビニーがずっとインドと思っていたので勘違いに注意、ルンビニーはネパール。
Wikipedia→仏陀の生誕地ルンビニー
◯ブッダガヤの大菩薩寺
(文)インド 2002年 (Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)
◯ブッダが悟りを開いたブッダガヤ
→マハーボディ寺院(大精舎)と呼ばれる大菩提寺がある。
→マハーボディ寺院はブッダが瞑想した菩提樹の近くに作られた道場を起源としている。
→インド仏教美術がピークを迎えたグプタ朝時代の建築様式を今に伝える。
■仏教4大聖地の2番目。マハーボディ寺院の内容を覚えれば大丈夫かと。
Wikipedia→ブッダガヤの大菩薩寺
◯ボロブドゥールの仏教寺院群
(文)インドネシア 1991年(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅵ)
◯インドネシアのジャワ島に築かれた。
→ボロブドゥールはシャイレンドラ朝時代に築かれた世界最大規模の仏教遺跡。
→ピラミッド状で、下から115mの基檀、5層の方形檀、3層の円形檀が重なった構造。
→大乗仏教の宇宙観「三界」を表現していると考えられている。
→頂上に釣り鐘型のストゥーパがそびえ、立体曼陀羅といった様相を呈する。
■ボロブドゥールはシャイレンドラ朝、ジャワ島。大乗仏教の宇宙観の表現がキーワード。
Wikipedia→ボロブドゥールの仏教寺院群
◯聖地キャンディ
(文)スリランカ 1988年 (Ⅳ)(Ⅵ)
◯スリランカの中央高地にあるキャンディ。
→2,000年以上続いたシンハラ王国最後の都。
◯ダランダーマーリガーワ寺院(仏歯寺)
→ブッダの犬歯(仏歯)を祀っている。
→仏歯は仏歯堂聖堂に納められ1日3回開帳されている。
■ダランダーマーリガーワ寺院という歯を納める寺の名前のインパクトすごい。
Wikipedia→聖地キャンディ
◯アユタヤと周辺の歴史地区
(文)タイ 1991年(Ⅲ)
◯古くから水上交易の要衝だったアユタヤ。
→14世紀半ばにアユタヤ朝の都が置かれ400年にわたり繁栄した。
→アユタヤ朝はアンコール朝を滅ぼし、スコータイ朝を併合して勢力を拡大した。
→日本との間でも朱印船貿易で交流。山田長政で有名な日本人街跡も残る。
→プラ・プラーン様式の寺院をはじめとする遺跡はアユタヤ朝独自の建築様式を伝える貴重な史料となっている。
■アユタヤ朝の繁栄の背景と、プラプラーン様式(=クメールの影響を受けた、砲弾状の高い塔堂を特徴とする様式)を覚える。
Wikipedia→アユタヤと周辺の歴史地区
◯古都ルアン・パパン
(文)ラオス 1995年/2013年範囲変更 (Ⅱ)(Ⅳ)(Ⅴ)
◯ラオス北部のルアン・パパン
→14世紀ラオス初の統一王朝ランサン王国の都に。
→初代国王ファーグムは上座部仏教を国教とし、アンコール朝から数多くの高層僧を招いた。
→同時に黄金の仏像であるパパンと多くの教典を取り寄せた。
→パパンはランサン王国の象徴となり地名の由来にもなった。
→代表的な遺構はワット・シェントーンで、本堂は何層にも重なったルアン・パパン様式と呼ばれる屋根をもつ。
◯ラオスのルアン・パパンはパパンの意味と地名の由来で覚える。ランサン王国もあまり聞かないのでランサンと王国の頭文字でラオ…ラオスと覚える。
Wikipedia→古都ルアン・パパン
◯石窟庵と仏国寺
(文)韓国 1995年 (Ⅰ)(Ⅳ)
◯韓国南東部に位置する。
→統一新羅王朝を代表する仏教寺院。
→統一新羅王朝の宰相金大城が、前世の父母のために石窟庵を、現世の父母のために仏国寺の建立を開始したと伝えられる。
◯石窟庵
→吐含山の山頂近くにある。
→方形の前室とドーム型の天井を持つ円形の主室を、扉道と呼ばれる短い通路で繋いだ前方後円型の人工の石窟寺院。
→主室には純白の花こう岩を掘って作られた如来坐像がある。
→1909年に雨宿りをした郵便配達夫によって発見された。
→発見当時は倒壊寸前で、日本の協力で大規模な修復工事が行われた。
◯仏国寺
→吐含山の山麓に774年に完成。
→豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)で主要建造物は焼失。
→1973年の大改修で今の姿に。創建当時は現在の10倍の規模があったと言われる。
→仏国寺の伽藍は大雄殿、極楽殿、毘盧殿を中心とする3つの領域に区分。
→現世の娑婆世界、天界の西方極楽浄土世界、来世の蓮華台蔵世界を表すとされる。
■過去問に統一新羅と金大城の組み合わせを見つけるのがあった。石窟庵と仏国寺の特徴も軽くおさえる。
Wikipedia→石窟庵と仏国寺
◯雲崗石窟
(文)中国 2001年 (Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)
◯中国山西省の雲岡石窟
→1kmの断崖の壁面に刻まれた252の石窟と51,000体あまりの仏像がある。
→敦煌の莫高窟、龍門石窟と共に中国3大石窟のひとつに数えられている。
→452年即位の北魏の文成帝は「曇曜五窟」と呼ばれる5つの石窟に自身を含む5人の皇帝を模した大仏を建立した。
→1902年に日本人建築家の伊東忠太が石窟を発見した。
■北魏時代の仏教芸術を伝える石窟寺院。伊東忠太のところもおさえる。
Wikipedia→雲崗石窟
◯ラサのポタラ宮歴史地区
(文)中国 1994年/2000、2001年範囲拡大 (Ⅰ)(Ⅳ)(Ⅵ)
◯チベット中央にあるラサ
→外層13階のポタラ宮は最高指導者ダライ・ラマの居城。
→1642年にダライ・ラマ5世がチベットを統一、ソンツェン・ガンボ王の築いた城を元にポタラ宮が建てられた。
→チベット仏教の総本山ジョカン寺、歴代ダライ・ラマの夏の離宮ノルブリンカが登録されている。
■概要は知っているので、チベット仏教総本山のジョカン寺はポタラ宮とセットで覚えたい。
Wikipedia→ラサのポタラ宮歴史地区
■世界の宗教
◯黄山
(複)中国 1990年/2012年範囲変更 (Ⅱ)(Ⅶ)(Ⅹ)
◯中国南東部の黄山
→標高1,800m級の蓮花峰、光明峰、天都峰の3つの峰がそびえる山岳地帯。
→2つの湖、3つの滝、24の渓谷が点在。
→古代中国の伝説の王、黄帝が仙人になった場所とされている。
→道教および仏教の聖地
→唐の玄宗が黄帝の伝説にちなみ黄山と改名した。
◯奇松、怪石、雲海、温泉
→中国の芸術・文化にも多大な影響を与えた景観。
→奇松、怪石、雲海、温泉は「黄山四絶」とも呼ばれる
→奇松は固有種の黄山松を指し、樹齢100年を超えるものが約10,000株も自生する。
→ユニークな形から「送客松」「迎客松」という名前のものも。
→怪石は花こう岩層が地殻変動などで変形したもので垂直に立っているものが多い。
→豊かな生態系も確認でき、アラカシなどの植物、コウノトリ、トモミガモなどの鳥類を含む多くの絶滅危惧種の生息地であり、自然遺産としての価値も高い。
■文化的な背景と黄山四絶という景観。自然遺産としての価値もチェックしておく。黄山は複合遺産。
Wikipedia→黄山
◯タプタプアテア
(文)フランス 2017年 (Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)
◯フランス領ポリネシアのライアテア島。
→ハワイ諸島、ラパ・ヌイ、ニュージーランドのアオテアロアを結んでできる「ポリネシア・トライアングル」の中心にある。
→ポリネシアの人々の世界と祖先や神々の世界が出会う重要な聖地と考えられている。
→海辺にはオロ神を祀る重要なマラエ(祭祀場)が置かれた。
→マラエの他に森に覆われた渓谷や、ラグーンやサンゴ礁なども世界遺産に含まれ、文化的景観として登録された。
■かわいい名前の世界遺産ナンバー1タプタプアテア(主観)。オロ神は戦いと豊穣の神。ポリネシアン・トライアングルも覚えておくと他の遺産も覚えられていいと思う。
Wikipedia→タプタプアテア
◯国立歴史文化公園“メルヴ”
(文)トルクメニスタン 1999年 (Ⅱ)(Ⅲ)
◯トルクメニスタンのカラクム砂漠にある。
→紀元前6世紀頃から発展したシルクロードのオアシス都市。
→セルジューク朝の首都となった12世紀頃に最盛期。
→遺跡からはイスラム教、ゾロアスター教、キリスト教など多様な宗教の遺構が。
→他にも女神や動物を表現した土偶や、骨壷や彩画陶器などの遺物も見つかる。
→仏塔や僧院など世界最西端とされる仏教遺跡が現存することでも有名。
■世界最西端の仏教遺跡があるのがメルヴ。これは抑えておく。
Wikipedia→国立歴史文化公園“メルヴ”
◯アンコールの遺跡群
(文)カンボジア 1992年 (Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)
◯カンボジア北西部のアンコール遺跡群
→クメール人が興したアンコール朝の都市遺跡。
→アンコール・ワット本殿の回廊にはヒンドゥー神話の「乳海撹拌」の場面などが精巧な浮き彫りで描かれている。
→アンコール・トムの仏教寺院バイヨンには54基の巨大な四面仏顔塔が立ち並んでいる。
■アンコール・ワット(=乳海撹拌)とアンコール・トム(=四面仏顔塔)にそれぞれある特徴を覚えておく。
Wikipedia→アンコールの遺跡群
◯タフテ・ソレイマーン
(文)イラン 2003年 (Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)
◯ゾロアスター教の聖地である。
→アケメネス朝から聖域として崇められる。
→「タフテ・ソレイマーン」は“ソロモンの王座”という意味。
→この地の建築様式は宗教建築・宮殿建築ともにイスラム建築に大きく影響を与えた。
■クイズ的には「火をし/」で有名なゾロアスター教の聖地。ゾロアスター教の聖地だから場所はイランですね。タフテ・ソレイマーンはソロモンの王座という意味があるんですね。
Wikipedia→タフテ・ソレイマーン
◯イエス洗礼の地「ヨルダン川対岸のベタニア」(アル・マグダス)
(文)ヨルダン 2015年 (Ⅲ)(Ⅳ)
◯ヨルダン川の東岸に位置するベタニア
→洗礼者ヨハネがイエスを洗礼したと言われるのがベタニア。
→アラビア語名のアル・マグタスは「洗礼」を意味する。
→聖エリアの丘、テル・アル・カッラールとヨルダン川近くの聖ヨハネの教会群地区の2つのエリアで構成。
→ローマやビザンツの教会群、礼拝堂、洗礼が行われた水場が残るキリスト教の巡礼地。
■ヨルダン川もクイズに出ますね。洗礼者ヨハネについてと、覚えられなそうなベタニアという地名とアル・マグタスというアラビア語名。
Wikipedia→イエス洗礼の地「ヨルダン川対岸のベタニア」(アル・マグダス)
◯ハイファと西ガリラヤのバハイ教聖所群
(文)イスラエル 2008年(Ⅲ)(Ⅳ)
◯イスラエル北部のハイファと西ガリラヤ
→バーブ教から独立したバハイ教の聖地が11ヵ所ある。
→世界中に500万人の信者がいて、毎年多くの信者が巡礼に訪れる。
→アッコにあるバハイ教の創始者バハウッラーの霊廟や、西ガリラヤにあるバーブ教の祖バーブ(サイード・アリー・ムハンマド)の霊廟などが登録されている。
■バハイ教の聖地というが、バハイ教が覚えられません(涙)。創始者のバハウッラーがバハイ教と名前近いのが救いですね。
Wikipedia→ハイファと西ガリラヤのバハイ教聖所群
◯エローラーの石窟寺院群
(文)インド 1983年(Ⅰ)(Ⅲ)(Ⅵ)
◯インド中西部 アジャンターの南西約100kmの山地
→仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の3つの宗教の石窟寺院が南北2kmにわたって並ぶ。
①仏教窟
→南端の第1~12窟。5~7世紀に造園
→インドでも最後にできた仏教窟
→第10窟にはストゥーパの前にできた仏倚座像を配した仏龕(ぶつがん)が設置。
②ヒンドゥー教窟
→仏教窟の北。第13~29窟。7~10世紀頃につくられた。
→第16窟 カイラーサ寺院はエローラー石窟寺院群でも最大規模。
→上記寺院はひとつの岩からできた「石彫寺院」で幅46m、奥行き80m、高さ34m。
→様々な彫刻が彫られ、『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』の世界を描いている。
③ジャイナ教窟
→最も北の第30~34窟。8~10世紀頃。
→多くの寺院が未完のまま。
→最も完成度が高い第32窟と、第33窟は重層構造。
◯アジャンターの石窟寺院は1,000年も発見されなかったが、エローラーは現在も多くの巡礼者が訪れている。
→3つの宗教が共存したこの石窟寺院群は、古代インドの寛容の精神を表している。
■仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の3つの宗教の石窟寺院。それぞれの石窟寺院のキーワードはおさえる。3つの宗教の共存=古代インドの寛容の精神の表れ。
Wikipedia→エローラーの石窟寺院群
◯カジュラーホの寺院群
(文)インド 1986年 (Ⅰ)(Ⅲ)
◯インド中部のカジュラーホ
→中世インド宗教建築の粋をなす寺院群。西群、東群、南群に分けられている。
→西群はすべてヒンドゥー教寺院。
→高さ31mのシカラ(砲弾形の尖塔)をもつカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院が最大の規模。
→東群はジャイナ教寺院が多い。
→東群最大の寺院はパールシュヴァナータ寺院。
→寺院には細密な彫刻が施され、性的な情景を奔放に表現したミトゥナ(男女一対の意)と呼ばれる彫刻が有名。
■カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院という覚えられそうにない名前と、キーワードのミトゥナは気合いで覚える。
Wikipedia→カジュラーホの寺院群
◯プレア・ビヒア寺院
(文)カンボジア 2008年(Ⅰ)
◯カンボジア北部の崖の上にある。
→世界遺産登録基準(Ⅰ)のみの遺産。
→9世紀にクメール人が築き、11世紀に再現されたヒンドゥー教の聖地。
→精緻な彫刻が施された宗教建築×周囲の自然環境との調和した価値
→タイとの国境未確定地域に位置したが現在はカンボジア領に。
■プレア・ビヒアはヒンドゥー教。昔からよく間違えるのでもう一度、プレア・ビヒアはヒンドゥー教。クメール人が作りました。タイとの国境近くというのも過去問に出た記憶。
Wikipedia→プレア・ビヒア寺院
◯ラニ・キ・ヴァヴ:グジャラト州パタンにある王妃の階段井戸
(文)インド2014年 (Ⅰ)(Ⅳ)
◯インド西部のサラスワティ川近くのラニ・キ・ヴァヴ
→傑出した芸術性と聖性を誇る階段井戸。「王妃の階段井戸」
→階段井戸は紀元前3,000年頃からインド各地で造られた地下水貯蓄システム。
→水の神聖性を祀る寺院としても利用。神話や宗教的要素を表現した500体を超える彫刻が並ぶ。
■階段井戸=地下水貯蓄システムは覚えられても、ラニ・キ・ヴァヴという地名が覚えられない。地図とか見て場所を確認したり、色々な方向からアプローチして覚えたい。
Wikipedia→ラニ・キ・ヴァヴ:グジャラト州パタンにある王妃の階段井戸
◯聖都アブー・メナー
(文)エジプト 1979年/2001年危機遺産登録 (Ⅳ)【危機遺産】
◯エジプト北部のアブーメナー
→コプト教の聖地。
→3世紀にローマ帝国からキリスト教弾圧を受けた際に聖者メナスが抵抗し殉教、その埋葬地として信仰を集めた。
→巡礼都市として発展し、イスラム勢力に占領されてからアブーメナーと改称されたが後に放棄された。
→1905年に発見されるまで砂に埋もれていた。
→砂の中から発見された聖堂や礼拝堂は初期キリスト教の聖地のにぎわいを伝えている。
→現在は、周囲の干拓により地下水位が上昇、地盤沈下により遺産が崩壊の危機にある。
■コプト教の聖地であることは抑える。遺跡について何教なのかは良く出るので(~派、~会なども)覚えておく。
Wikipedia→聖都アブー・メナー
◯エルサレムの旧市街とその城壁群
(文)エルサレム(ヨルダンによる申請) 1981年/1982年危機遺産登録 (Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅵ)【危機遺産】
◯エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教の聖地。
→ダヴィデの跡を継いだソロモンは「十戒」を納めた神殿をモリヤの丘に建てた。
→エルサレムはユダヤ人の中心地となるがその後ローマ帝国の支配下に。
→後70年にローマ軍により市街と神殿が破壊されユダヤ人は世界各地に離散(デイアスポラ)することになる。
→
Wikipedia→エルサレムの旧市街とその城壁群
世界遺産検定2級→08古代ギリシャとヘレニズム/ローマ帝国
世界遺産検定2級→(目次へ)
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