【世界遺産】25時間目 城砦・城砦都市~アジアの世界遺産
こんばんは、世界遺産検定マイスターのみや兄です!世界遺産検定1級合格に向けての勉強シリーズです。
公式テキストである「すべてがわかる世界遺産大事典(上)(中)(下)」を中心に自分の苦手ポイントメモなどを加えていきたいと思います。
【世界遺産検定1級 公式テキスト】
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今日は25時間目ということで「25城砦・城砦都市 」です
■25 城砦・城砦都市
◯万里の長城 ②ー1
(文)1987中国
登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)
◯場所
中国北部に東西20,000kmにわたって連なる世界最大規模の城壁。
◯歴史
春秋時代の紀元前7世紀頃 建造がはじまる。最初の造築理由は北方民族の侵入を防ぐこと。
戦国時代に隣国に対する防御壁として各国が個別に築く。
221年 秦の始皇帝が各国が築いた長城をつなぐ形で整備、補修。将軍の蒙恬が指揮を執り現在の万里の長城の原型を造り、北方民族の匈奴に備えるための城壁とした。
前漢の時代 長城は現在の敦煌あたりまで延び、その後も増築、改築が繰り返される。
明代には北方のモンゴル民族が建てた王朝である元を北に追いやり中国統一を果たした洪武帝をはじめ、国境の防備として長城の修築、増改築に力を注いだ。
清は北方民族の一派の女真族の王朝だったので長城を整備せずに放置、このため清代にその大部分が荒廃した。
1961年に国家重点文物保護単位に指定され保護されることになった。
◯万里の長城の特徴
東端の勃海湾沿いの山海関から、西端の関城で天下第一雄関と呼ばれた嘉峪関に至る。
建設は山岳地帯では切り出した石、平地では土や砂などを用いた。明代には焼成レンガや石灰が大量に使われるようになった。
高さは平均約8m、幅平均約4.5mでその上を兵士や馬が移動でき、縁には銃眼の開いた女墻(ひめがき)が設けられる。
要所に防衛拠点の関城、見張り塔の敵台(望楼)、のろし台が築かれており、明代の建設技術の高さとともに、高度な軍事施設としての側面を今に伝えている。
長城周辺では長城を挟んで異民族同士の文化交流や交易が行われていた。
世界遺産には保存状態の良い「八達嶺長城エリア」「山海関エリア」「嘉峪関エリア」の3つのエリア、21.5kmが登録されている。
万里の長城は複数自治体を跨ぐので、2006年には包括的な保全管理計画が策定、絶えず更新を加えながら保護されている。
■世界遺産の中ではメジャーな万里の長城。建設目的や世界遺産登録されている3つのエリアは覚えておきたい。
Wikipedia→万里の長城
◯水原の華城 ②ー2
(文)韓国 1997年
登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)
◯場所
ソウルの南、京畿道水原市にある華城。
◯歴史
1796年 朝鮮王朝第22代王正祖が作らせ完成。正祖は父の荘献世子を水原郊外の華山に改葬すると共に華城を築城。
華城は正祖が理想都市として築き、一時は華城への遷都も考えられた。
◯水原の華城の特徴
周囲約5.5kmを高さ7mの石造りの城壁が囲み、城壁内には王の臨時の宿である行宮なども造られた。
4つの城門、水門、見張り塔、楼閣、弓射塔、稜堡、のろし塔など48の建造物が当時の姿で残っている。
北にある長安門、南にある八達門、東にある蒼龍門、西にある華西門の4つの城門の他に隠し門がある。
地形を有効活用し、ヨーロッパ城郭建築の技術を導入した華城は軍事建築として高く評価された。
華城の一部は日本の占領と朝鮮戦争で破壊されたが、『華城城役儀軌』という詳細な築城記録の原本が残され、41の建造物の復元・修復が行われたため真正性が認められた。
■東西の軍事技術を融合した城郭都市。キーワードは必ず覚えておく。真正性が認められた城の復元は姫路城とかぶりますね。
Wikipedia→水原の華城
◯南漢山城 ②ー3
(文)韓国 2014年
登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)
◯場所
ソウルの南東25kmの山岳地帯にある。
◯歴史
非常時に朝鮮王朝(1392~1910年)の臨時首都が置かれた要塞。
最古のものは7世紀に築かれ、その後再建を繰り返し、17世紀初期に満州と清からの攻撃に備え完成した。
◯南漢山城の特徴
ソウルの北の北漢山城とあわせて南北から首都を守る要塞として機能。
日本と中国の築城技術を反映し、西洋式の火薬を使用した武器にあわせて防御技術も変化。この要塞の建造が山城の築城の転換点になった。
4,000人が収用可能、行政と軍事の重要拠点として韓国の主権の象徴となる。築城・防御に僧兵が加わったのも特徴。
朝鮮戦争で城壁や城内に被害が出た。1970年代より修復・復元作業が進められ、現在は京畿道立公園として保護されている。
■朝鮮王朝の臨時首都として機能した山城の南漢山城。首都を守るため日本と中国の築城技術を反映したところがポイント。
Wikipedia→南漢山城
◯土司の遺跡群 ②ー4
(文)中国 2015年
登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)
◯場所
中国南部の山岳地帯にある。
◯歴史
土司制度は紀元前3世紀に始まった歴代王朝による地方統治制度。
歴代王朝による国家統一を目的とした一方、地方の少数民族が独自の習慣や風俗、生活様式などを維持することを認めるものでもあった。
元代以降は中国近隣の少数民族の長が土司として任命され、中央の王朝との間に君臣関係を築き外交や交易を行った。
◯土司の遺跡群の特徴
13世紀から20世紀初頭にかけて中央の歴代王朝が「土司」として任命した、地方の世襲制の首長による支配を今に伝える遺構。
湖南省、湖北省、貴州省に残る老司城、唐崖土司城、海龍屯要塞の3つの遺産からなる。
これらは元と明の時代に中国で行われてきた土司制度による統治を伝える類まれな証拠として評価された。
■土司制度をまずおさえること、そして地方少数民族など近隣諸民族との君臣関係を結ぶといった、地方統治制度の歴史を伝える遺跡群。
Wikipedia→土司の遺跡群
◯レッド・フォート建造物群 ②ー5
(文)インド 2007年
登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅵ)
◯場所
インドのデリーにある城。
◯歴史
ムガル帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが17世紀中頃に首都をアーグラからデリーに遷した時に建造した居城。
隣接する、より古い城塞のサリームガルと共に登録されている。
◯レッドフォート建造物群の特徴
レッド・フォート(=赤い城)は城壁が赤砂岩で築かれていることに由来。
宮殿と庭園はイスラム建築を基本としている。
水路で結ばれた別館はペルシアやティムール朝、ヒンドゥー教の影響が見られ、後のデリーの建築に大きな影響を及ぼした。
■シャー・ジャハーンがアーグラからデリーに遷したこと、隣のサリームガルと一緒に登録されていることが重要。
レッドフォートは赤い城という意味、シャージャハーンはこの2つあとのアーグラ城でも登場します。
Wikipedia→レッド・フォート建造物群
◯ロータス城塞 ②ー6
(文)パキスタン 1997年
登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)
◯場所
パキスタンのカハーン川沿いにあるロータス城塞。
◯歴史
ムガル帝国2代皇帝フマユーンを一時的に駆逐しスール朝を開いたシェール・シャーが1541年に建設した要塞。
◯ロータス城塞の特徴
優れた初期イスラム軍事建築。
世界最大級の岩塩鉱山の上に築かれる。
周囲4kmに及ぶ城壁は、12の門、68の稜堡を備え高い防御力を誇った。
城壁は厚さ最大12m以上、高さは18mに達する。
北からの遊牧民の侵入を防いだ城壁はほとんど壊されず残る。
トルコやインドの伝統的な建築や芸術も取り入れている。
■ムガル帝国から一時政権を奪ったスール朝のシェール・シャーが築いた堅固な要塞。世界最大級の岩塩鉱山の上に築かれたというのはインパクトあるのでしっかりと覚えておく。
Wikipedia→ロータス城塞
◯アーグラ城 ②ー7
(文)インド 1983年
登録基準(Ⅲ)
◯場所
ニューデリーの南約200kmに位置する。
◯歴史
1565年~1573年にかけてムガル帝国3代皇帝アクバルが建設した城壁。
アクバル帝時代は要塞機能に重点が置かれる。
5代シャー・ジャハーン、6代アウラングゼーブは大幅な改築を行い、敷地内に市場、居住区といった都市機能も備えさせた。
◯アーグラ城の特徴
赤砂岩の城壁に囲まれており、デリーの城と同じくレッド・フォート(=赤い城)とも称される。
城内に残るアクバル帝時代の建物がジャハーンギール宮殿。ペルシア建築とヒンドゥー教の建築様式が混在、イスラム教とヒンドゥー教徒の融和を図るため尽力したアクバル帝の政治的意図が象徴されているとされる。
アーグラ城は二重の堀、二重の城壁で囲まれているが内部は対照的に豪華な造り。
シャー・ジャハーンが質素な赤砂岩を嫌い大理石を使って美しく建て替える。
白大理石の列柱が並ぶディーワーネアーム(公的謁見の間)やモティ・マスジド(真珠のモスク)などインド・イスラム建築の魅力を伝えている。
シャー・ジャハーンは晩年息子に幽閉され、城内のムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)からタージ・マハルを眺めて過ごした。
6代アウラングゼーブ帝が1707年に没すると、他国の占領や内乱の舞台となり多くの建物が破壊された。
20世紀に入り修復が進み、現在はかつての姿を取り戻しつつある。
■ムガル帝国のアクバルが建設。2つ前のレッドフォートと合わせて覚えると歴史の流れも含めて覚えやすい。イスラムとヒンドゥー教の融和、囚われの塔もポイント。ムサンマン・ブルジュのブルジュはアラビア語で塔、世界一高いブルジュ・ハリファのブルジュと同じ。
Wikipedia→アーグラ城
◯ラジャスタンの丘陵城塞群 ②ー8
(文)インド 2013年
登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)
◯場所
インド北西部にあるラジャスタン州にある6つの城塞。シリアル・ノミネーション・サイトとして登録されている。
ラジャスタンは「ラージプート族の地」という意味。
主要な市街地や宮殿、交易所のほか、城塞以前にあった寺院などの建造物が城壁に囲まれており、学問や音楽、芸術などの宮廷文化が発達。
いくつかの市街地は城壁内に現在も残り、そこには多くの寺院や宗教建築物群も含まれている。
城塞は、丘陵、ジャイサルメールの砂漠、ガーグロンの川、ランタンボールの深い森など自然を防御に取り入れている。
広大な水利システムも特徴で、多くは現在も使われている。
◯歴史
8~18世紀 この地で繁栄したラージプート諸国の権威を伝える様々な建築として、外周最大20kmもあるものも含む城塞などがある。
9世紀 ラジャスタン地方のヒンドゥー教王朝メーワール王国がチットルガルを首都とする。
1598年 チットルガル城塞を中心に文化、芸術が花開くがムガル帝国のアクバル帝の前に陥落。
メーワール王国は城塞陥落後も首都をウダイプルに遷して存続。
1818年 イギリスと軍事保護条約を結びウダイプル藩王国となる。
1947年 インドへと併合される。
◯ラジャスタンの丘陵城塞群
①チットルガルのチットルガル城塞
ラージプート諸国がムガル帝国に降ったあとも抵抗を続け、兵士のみならず、女性や子どもまで命を落としたメーワール王国の歴史を物語る城塞。
(1)ラーニー・パドミニ宮殿
=悲劇の王妃パドミニのための宮殿
(2)ミーラー・バイ寺院
=壁面を多くの彫像やレリーフが飾るヒンドゥー教の寺院。
(3)ヴィジャイ・スタンバ(勝利の塔)、
15世紀にマルワール王国に勝利した記念に建てた9階建ての塔。
(4)キルティ・スタンバ(名誉の塔)
異教徒でありながら経済力のために重視されたジャイナ教のための塔。
(5)ラーナ・クンパ宮殿、貯水池。
②ジャイプールのアンベール城塞
ラージプート族のアンベール王国の首都だったところ。
1562年にアクバル帝が同盟を結んだことでからラージプート諸国はムガル帝国の傘下に。
アンベール王マン・スィン1世が砦を改築。その後も100年以上かけて改築が繰り返される。
内部には豪華な装飾があり、ガネーシャのモザイクが施されたガネーシャ門、壁や天井に多くの鏡がはめ込まれた鏡の間のほか、幾何学的な庭園など、ムガル帝国がもたらしたイスラム教の影響を強く感じられる。
③クンバルガルのクンバルガル城塞
④サワイ・マドブールのランタンボール城塞
⑤ジャラワールのガーグロン城塞
⑥ジャイサルメールのジャイサルメール城塞。
■チットルガル城塞とアンベール城塞はマスト。チットルガル城塞にあるヴィジャイ・スタンバは覚えたい。1727 年に建設した旧市街は、その特徴的な建物の色から「ピンクシティ」と呼ばれていて、クイズでもよくでるのでチェックです!
Wikipedia→ラジャスタンの丘陵城塞群
◯クラック・デ・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーン ②ー9
(文)シリア 2006年/2013年危機遺産登録
登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)
◯クラック・デ・シュヴァリエの特徴
1142年から1271年にかけて聖ヨハネ騎士団が拡張し本拠地とした城塞。
小高い丘の上に建ち、難攻不落の城として有名。2013年にシリア内線により被災。
◯カラット・サラーフ・アッディーンの特徴
クラック・デ・シュヴァリエの北に位置し、10世紀半ばにビザンツ帝国により紀元前から続く古い砦が補強された。
1188年にはサラディンが陥落させたことから「サラディンの要塞」という意味でこの名で呼ばれるようになった。
ビザンツ帝国、フランク王国、アイユーブ朝の様式が混在した装飾が特徴。
■まずこの名称の長さですね。3回読んで覚えましょう、「クラック・デ・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーン! クラック・デ・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーン!! クラック・デ・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーン!!!」
Wikipedia→クラック・デ・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーン
◯エルビル城砦 ②ー10
(文)イラク 2014年
登録基準(Ⅳ)
◯場所
イラク北部、クルド人地域のエルビル行政区域にあり、「卵形」の丘の上に建つ。
◯歴史
高い城壁と19世紀の正面入口から、エルビルを防御していた難攻不落の城砦の面影が偲ばれる。
独自の扇形をした城壁内の古代集落はアッシリアの政治・宗教上重要な中心地とされる古代アルベラのものと考えられる。
◯エルビル城砦の特徴
考古学調査や出土品からは、この円丘が古い集落の遺跡を覆い包んでいることも判明している。
■あまり馴染みのない遺産なので、「エルビルアルベラ卵形」のリズムで覚えると覚えやすいと個人的に思いました。
Wikipedia→エルビル城砦
◯バフラの砦 ②ー11
(文)オマーン 1987年
登録基準(Ⅳ)
◯場所
オマーン北部、アフダル山麓に位置する砂漠のオアシス都市に築かれた要塞。
◯歴史
12世紀半ばから15世紀末にかけてこの地を支配したバヌ・ネブハン族により、日干しレンガで造られる。
増改築を重ねて16世紀に完成した。
◯バフラの砦の特徴
オマーンは海上貿易が活発、海陸双方からの敵の襲来に備え数々の要塞が造られ、バフラの砦は国内最大規模を誇る。
周囲の城壁は全長約12kmに及び、上部には巡視路が張り巡らされ、円形や方形の132もの監視塔が設けられている。
■バフラの砦はオマーンの遺産。あまり聞かないバヌ・ネブハン族は覚えたい。オマーン最大規模の要塞。
Wikipedia→バフラの砦
◯胡朝の要塞 ②ー12
(文)ベトナム 2011年
登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)
◯場所
ベトナムのタンホイア省に築かれた砦の遺跡。
◯歴史
1397年に建設され、この地域は1400年から胡朝の首都となったが明に侵攻され7年で滅んだ。
風水の伝統的な原理に従って建てられ、14世紀後半に宋学(新儒学)がアジア各国に伝播したことを示す。
◯胡朝の特徴
中央集権型の王朝の首都にふさわしい偉容を誇ったが、現在は城門のみが残っている。
■ベトナムの胡朝の首都だったこと、風水の原理に従ってできたこと、現在は城門のみ残っていることあたりをおさえる。
Wikipedia→胡朝の要塞
おわりに
「城砦・城砦都市」については、その建造した人物と歴史、その城砦機能と特徴を覚えるといいのかな、とおもいます。
世界遺産検定の他にも色々なジャンルの記事を書いてますので気になるジャンルがありましたら読んでいただけると幸いです。
これからも生活の役に立つ記事、楽しい記事を少しずつ書いていきたいと思います!
ではではー!
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世界遺産検定1級→26都市遺跡①~アジアの世界遺産
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