【世界遺産】33時間目 独自の集落/宗教信仰関連遺産(複数の宗教)~アジアの世界遺産
こんばんは、みや兄です!世界遺産検定1級合格に向けての勉強シリーズです。
公式テキストである「すべてがわかる世界遺産大事典(上)(中)(下)」を中心に自分の苦手ポイントメモなどを加えていきたいと思います。
【世界遺産検定1級 公式テキスト】
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Amazon⇒すべてがわかる世界遺産1500(下巻)
今日は33時間目ということで「33独自の集落/宗教・信仰関連遺産(複数の宗教) 」です
■独自の集落
◯福建土楼群
(文)中国 2008年
登録基準(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅴ)
◯場所 福建省南西部の約120kmに点在する46の土楼。
◯歴史 12~20世紀につくられた漢民族客家の伝統的な集落。囲んだ方形や円形
◯特徴 一族の団結力を象徴する集合住宅。土楼は中心の中庭を囲んだ円形や方形。外側は180cm以上もの厚さを持つ。
盗賊の侵入を防ぐ砦としての機能もあった。
各部屋は同じ大きさで同じ造りで部屋ごとで差が出ないように平等な構造になっている。
■風水を取り入れた独特の伝統建築や共同体の生活形態に加え、周辺環境との調和も高く評価されている。
Wikipedia→福建土楼群
◯麗江の旧市街
(文)中国 1997年/2012年範囲変更
登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)(Ⅴ)
◯場所 中国南西部、雲南省にある麗江。
◯歴史 12世紀の宋代末に少数民族納西族によって建設された古都。
交易の広場であった四方街を中心に約800年に渡り歴史を重ねた。
1996年に起きた大地震で麗江は大きな被害を受けた。耐震構造の復興も考えられたが市民の遺構でかつての建築様式のまま復元。
◯特徴 城壁がない石城として他に類を見ない。
隙間なく立ち並ぶ民家は、古くから漢民族に伝わる「四合院」という中庭を建物でぐるりと囲む様式に工夫を加えた
「四合五天井」や「三坊一照壁」といった方式で築かれている。
■象形文字の一種である東巴文字をはじめとする独自の文化を生み出した。
世界遺産登録後は観光客の大量流入が問題に。商売目当ての新住民が移り住み納西族などの旧住民が旧市街の外へ転居してしまう。
Wikipedia→麗江の旧市街
◯安徽省南部の古村落ー西逓・宏村
(文)中国 2000年
登録基準(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅴ)
◯場所 中国の南東部。安徽省にある西逓と宏村。
◯歴史 14~20世紀の古民家が多数残る。
◯特徴 これらの徽派建築は現存する数少ない中国伝統の住居建築。漆喰を塗った白い壁と濃灰色の瓦を特徴としている。
■宏村には清代の私塾「南湖書院」が残されている。
Wikipedia→安徽省南部の古村落ー西逓・宏村
◯河回村と良洞村の歴史的集落群
(文)韓国 2010年
登録基準(Ⅲ)(Ⅳ)
◯場所 安東市の河回村と良洞村
◯歴史 14~15世紀に造られた韓国における最も歴史的な氏族社会の村で、代表的な氏族村(同族集落)。
◯特徴 朝鮮時代の支配者である両班の農村における伝統的な生活を今に伝える。
村内の館や住居は風水と儒教の礼法を考慮した家屋構成。
■「韓国の氏族社会の村は2つある」と覚える。
Wikipedia→河回村と良洞村の歴史的集落群
◯開平の望楼群と村落
(文)中国 2007年
登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)
◯場所 中国の広東省
◯歴史 4つの村落、20棟が世界遺産に。華僑の資金提供で建造され、中国の伝統建築と西洋の建築様式が独自に融合。
◯特徴 田園地帯に約1,800棟の望楼と呼ばれる登場の建造物が点在。4~5階建ての多層建造物は盗賊や河川の氾濫対策のため。
■華僑による中国文化と西洋文化の融合した遺産。
Wikipedia→開平の望楼群と村落
◯鼓浪嶼(コロンス島):歴史的共同租界
(文)中国 2017年
登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)
◯場所 厦門に面した小さな島。
◯歴史 1843年の南京条約で厦門が開港。1903年に鼓浪嶼に共同租界が設立。海外貿易の重要な窓口に。
◯特徴 世界の様々な様式の建物が建てられ、文化的な混交が産まれる。「アモイ・デコ様式」が最も顕著な建築様式。
■共同租界から生まれた新しい様式。アモイデコ様式は西洋の建築様式と厦門周辺地域の文化が融合して生まれた建築様式。
Wikipedia→鼓浪嶼(コロンス島):歴史的共同租界
◯サフランボルの旧市街
(文)トルコ 1994年
登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)(Ⅴ)
◯場所 トルコ北部。
◯歴史 13世紀から20世紀初頭まで黒海と地中海を結ぶ交易路上の要衝として繁栄。
◯特徴 オスマン帝国時代の情緒を色濃く残した隊商都市。
山の斜面には17世紀に建築されたトルコ風の伝統的な木造建築が立ち並ぶ。
■山の斜面のトルコ風木造建築は=サフランボルと結びつけられるようにしたい。
Wikipedia→サフランボルの旧市街
■宗教・信仰関連遺産(複数の宗教)
◯カジュラーホの寺院群
(文)インド 1986年
登録基準(Ⅰ)(Ⅲ)
◯場所 首都ニューデリーの南東約500km。
◯歴史 チャンデーラ朝が最盛期を迎えた10~11世紀に寺院群は建立。
13世紀初頭にはイスラム教徒が北インドに侵入するがカジュラーホには興味を示さなかった。
19世紀にイギリス人に再発見されるまで忘れ去られていた。
◯特徴 中世インド宗教建築の粋をなすもの。
85もの寺院があったが現存するのは25。
西群=最も多く寺院がありすべてヒンドゥー教寺院。
東群=ジャイナ教寺院が多い。
南群=ヒンドゥー教寺院が残る。
各部屋の屋根は塔状。入り口から奥に向けて塔が次第に高くなるのはヒマラヤ山脈を表現。
■西群に建つカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院が最大のもので、高さ31mのシカラ(砲弾型の尖塔)と84もの小シカラが積み重なっている。
インドの中世寺院の特徴
「北方型」=ヴィマーナの上部が砲弾型の尖塔
「南方型」=ピラミッド型になっている。
◯エローラーの石窟寺院群
(文)インド 1983年
登録基準(Ⅰ)(Ⅲ)(Ⅵ)
◯場所 アジャンターの南西約100㎢の山地。
◯歴史 7~8世紀に仏教、9世紀までにヒンドゥー教、9~10世紀頃にジャイナ教の石窟が造営された。
◯特徴 仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟寺院が南北2㎢に渡って立ち並ぶ。
1~12窟→7~8世紀に造営された仏教窟。第10窟はストゥーパの前に仏倚座像を配した巨大な仏龕。
13~29窟→9世紀頃まで造られたヒンドゥー教窟。第16窟に最大規模のカイラーサ寺院。
30~34窟→9~10世紀頃に造られたジャイナ教窟。第32窟が最も完成度が高い。33窟と共に重層構造となっている。
■3つの宗教(仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教)が共存しているのがポイント。
Wikipedia→エローラーの石窟寺院群
◯エルサレムの旧市街とその城壁群
(文)エルサレム 1981年/1982年危機遺産/(ヨルダンによる申請遺産)
登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅵ)
◯場所 エルサレムはエルサレムですよね(帰属問題がまだ続いている)
◯歴史 紀元前1,000年頃古代イスラエルの首都に。ダヴィデの後のソロモン王がエルサレム神殿を建築。
紀元前63年にエルサレムはローマの支配下に。
638年にはイスラム軍が占領。
1099年にキリスト教徒の手に戻る。
第一次中東戦争によりエルサレムは東西へ分割。(東エルサレムはヨルダン領、西エルサレムはイスラエル領)
1982年に危機遺産リストに記載→パレスチナとイスラエルの紛争、急激な都市開発、観光被害、維持管理府の不足など。
◯特徴 例外的にヨルダンが世界遺産申請、遺産保有国は実在しないエルサレム。
ヘロデ王の築いた西壁の一部が残る→ユダヤ教徒の聖地「嘆きの壁」
キリスト教徒はキリストが磔刑に処されたゴルゴダの丘に「聖墳墓教会」を建造。
イスラム教徒はムハンマドが神の啓示を受けた場所で、天界へ旅立ったとされる「岩のドーム」で覆われる。
■3つの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の聖地となっている。
Wikipedia→エルサレムの旧市街とその城壁群
◯ヘブロン:アル・ハリールの旧市街
(文)パレスチナ 2017年/2017年危機遺産
登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)(Ⅵ)
◯場所 パレスチナ
◯歴史 1250~1517年のマムルーク朝時代に築かれた市街地。
紀元前1世紀に「アブラハム・モスク(アブラハムの墓)」が築かれる。
オスマン帝国時代に市街地が広がり多くの建物が加わる。
◯特徴 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の巡礼地に。
緊急的登録推薦によって登録されたがユダヤ教の価値が十分に示されてないとアメリカとイスラエルは反発した。
■アメリカとイスラエルが2018年にユネスコを脱退したのはこのことがきっかけ。
Wikipedia→ヘブロン:アル・ハリールの旧市街
◯プランバナンの寺院群
(文)インドネシア 1991年
登録基準(Ⅰ)(Ⅳ)
◯場所 インドネシアのジャワ島。
◯歴史 9世紀にマタラム王国によって建造されたプランパナン寺院(ロロ・ジョングラン)。
◯特徴 ヒンドゥー教と仏教の寺院が混在。
■プランパナン寺院=高さ47mの尖塔を擁するシヴァ神を祀ったシヴァ堂。 左右にはブラフマー神とヴィシュヌ神を祀った祠堂。
基壇の周辺には何百もののブルワナ(小祠堂)が建造。
2006年のジャワ島地震の被害について、日本から調査団を派遣し修復が行われた。
Wikipedia→プランバナンの寺院群
◯カトマンズの谷
(文)ネパール 1979年/2006年範囲変更
登録基準(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)
◯場所 ヒマラヤ山脈ふもとの盆地状の谷。
カトマンズ、パタン(ラリトプル)、バドガオン(バクタプル)の3つの古都に跨る。
◯歴史 13世紀にマッラ族が台頭。14世紀にシティティ・マッラが諸侯を統一してマッラ朝が台頭。
チベットとインドを結ぶ交易中継都市として栄え、ネワール文化が成熟。
15世紀後半にマッラ朝からカトマンズが分裂。17世紀にカトマンズ、パタン、バドガオンの3王国に分裂。
18世紀に3王国はグルカ王国によって滅ぼされた。
◯特徴 カトマンズ=ダルバール広場には旧王宮、タレジュ寺院、マハデバ・チャイチヤ寺院など。
パタン=工芸が盛んで「ラリトプル(美の都)」よ呼ばれている。
バドガオン=「55の窓」と呼ばれる木彫りの窓が並ぶ宮殿がある。
■2003年から2007年までは危機遺産リストに記載された。2015年のネパール大地震で甚大な被害があり修復中。
Wikipedia→カトマンズの谷
おわりに
「独自の集落」については、まずは「特徴的な建物」やその「建造された文化の背景」を抑えておく。
「宗教・信仰関連遺産(複数の宗教)」については、複数の宗教が混在しているのでその遺産ごとに「どの宗教がどうかかわっているか」を抑えつつ覚えていくことが必要。
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