【世界遺産】34時間目 宗教信仰関連遺産(仏教)~アジアの世界遺産

こんばんは、みや兄です!世界遺産検定1級合格に向けての勉強シリーズです。

公式テキストである「すべてがわかる世界遺産大事典(上)(中)(下)」を中心に自分の苦手ポイントメモなどを加えていきたいと思います。

世界遺産検定1級 公式テキスト

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今日は34時間目ということで「34宗教・信仰関連遺産(仏教) 」です

■宗教・信仰関連遺産(仏教)

◯ラサのポタラ宮歴史地区

(文)中国 1994年/2000年、2001年範囲拡大

登録基準(Ⅰ)(Ⅳ)(Ⅵ)

場所 チベット高原中央部。標高は3,650m

歴史 吐蕃のソンツェンガンボ王がチベットを統一したところから始まる。

1642年にダライ・ラマ5世がチベットを統一。

特徴 チベット語を作らせインドと中国の仏教文化を積極的に取り入れていった

中心になるポタラ宮。妃が創建したのがジョカン寺(トゥルナン寺)ノルブリンカの3つが世界遺産に登録されている物件。

■ポタラ宮、ジョカン寺、ノルブリンカの特徴とソンツェンガンボ、ダライラマ、チベットについてを繋げて覚えておく。

Wikipedia→ラサのポタラ宮歴史地区

◯アジャンターの石窟寺院群

(文)インド 1983年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅵ)

場所 ムンバイの北東約360㎢。

歴史 紀元前2~後2世紀に最初の開窟行われたとみられる。

5世紀頃(グプタ朝の最盛期)に開窟が再開、7世紀頃まで続けられ、8世紀以降は廃墟に。

1819年にトラ狩りをしていた英国駐在軍のジョン・スミスが偶然遺跡を発見した。

特徴 断崖にあるインド最古の仏教壁画が残る仏教窟。全長600mの間に大小30を数える石窟。

チャイティヤ窟→ストゥーパ(仏塔)を安置して礼拝する祠堂形式。石窟群のうち5つ。

ヴィハーラ窟→僧侶たちが滞在、居住した僧房形式。石窟群のほとんどはこちら。

前期窟は全体的に簡素。第10窟のものはインド最古のもので異時同図法が見られる。

後期窟は正面や列柱に浮彫や仏像が見られ、多彩な壁画で埋め尽くされている。

壁画は年度と牛糞を塗り、石灰を重ねた下地に顔料で描くテンペラ技法の一種が用いられた。

壁画は湿気や観光客の増加で急速に劣化している。

■偶然見つけられたエピソード、チャイティヤ窟とヴィハーラ窟の違いや特徴を覚える。

Wikipedia→アジャンターの石窟寺院群

◯ブッダガヤの大菩提寺

(文)インド 2002年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)

場所 インド北東部

歴史 約2,500年前に釈迦は悟りを開いた。

紀元前3世紀頃に初めの寺院が築かれる→現在の物は5~6世紀のグプタ朝の創建→19世紀に復元されたもの。

特徴 仏陀が座した場所にアショーカ王が寄進したと言われる金剛宝座が設けられる。

菩提樹と金剛宝座は「欄楯」という欄干で囲まれている。

・マハーボディ(大精舎)=菩提樹の横に建っている大菩薩寺。高さ50m以上のレンガ構造。

仏教四大聖地のひとつ。ブッダがここに滞在し悟りを開いたこと、信仰の進化を示す点が重要。

※四大聖地は①生誕地ルンビニー、②悟りを開くブッタガヤ、③初説法のサールナート ④入滅地クシナガラ

Wikipedia→ブッダガヤの大菩提寺

◯サーンチーの仏教遺跡

(文)インド 1989年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)

場所 インド中部

歴史 紀元前3~後12世紀の遺跡が残されている。

19世紀に発見されたときは廃墟と化して草木に覆われていた。

20世紀初頭から本格的な調査が始まる。

特徴 丘陵地に約50の遺跡群。3つの大型ストゥーパと祠堂、僧院などがある。

最も古い第1ストゥーパはアショーカ王が各地に作った8万を超すストゥーパの一つとされている。

■仏教の中心地として機能していた地。

Wikipedia→サーンチーの仏教遺跡

◯仏陀の生誕地ルンビニー

(文)ネパール 1997年

登録基準(Ⅲ)(Ⅵ)

場所 ネパール南部、ヒマラヤ山脈南麓。

歴史 ブッダ誕生の地とされる。

アショーカ王がブッダの生誕地を示す石柱を築き、後6世紀頃にマーヤーデヴィ寺院が建立。

特徴 ブッダ生誕地とされる仏教四大聖地の一つ。

1896年に石柱が発見され、ルンビニー聖園として整備され再び巡礼地に。

■※四大聖地は①生誕地ルンビニー、②悟りを開くブッタガヤ、③初説法のサールナート ④入滅地クシナガラ

Wikipedia→仏陀の生誕地ルンビニー

◯パハルプールの仏教遺跡

(文)バングラデシュ 1985年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅵ)

場所 ダッカの北西約180km。

歴史 8~9世紀にかけて築かれた東インド地方最大の仏教寺院遺跡。

バーラ朝の国王ダルマパーラがソーマプラ大僧院を造営。

特徴 東南アジアの寺院の手本となった仏教寺院遺跡。

■約300m四方の広大な敷地の中心に十字型の大祠堂。外周壁に沿って177の僧房。

現在は基壇部分しか残っていない。基壇は彫刻が施された約3,000枚の素焼きの板で飾られている。

Wikipedia→パハルプールの仏教遺跡

◯ナーランダ・マハーヴィハーラの遺跡群

(文)インド 2016年

登録基準(Ⅳ)(Ⅵ)

場所 インドの北東部。

歴史 紀元前3世紀~紀元後13世紀の学術・修道活動の痕跡。

インド亜大陸における最古の大学であり、800年間途切れることなく地の伝達所として機能。

特徴 ストゥーパ、霊廟、ヴィハーラ(精舎、住居や学校となる建物)や化粧漆喰、石、金属による芸術作品。

■仏教の宗教的発展と、学術・修道の隆盛を共に証言するもの。

Wikipedia→ナーランダ・マハーヴィハーラの遺跡群

◯タフティ・バヒーの仏教遺跡とサリ・バロールの歴史的都市

(文)パキスタン 1980年

登録基準(Ⅳ)

場所 パキスタン北部

歴史 1世紀初頭に建てられた仏教寺院。7世紀までインド密教の中心地として繁栄。

特徴 ガンダーラ平野を見下ろす丘に主塔院や僧院などの遺跡が残り、ガンダーラ様式の仏像も出土。

■サリ・バロールの都市遺跡は2世紀のクシャーン朝時代に築かれた要塞都市と考えられている。

→現在は石造2階建ての各軍の土台しか残っていない。

Wikipedia→タフティ・バヒーの仏教遺跡とサリ・バロールの歴史的都市

◯ランギリ・ダンブッラの石窟寺院

(文)スリランカ 1991年

登録基準(Ⅰ)(Ⅵ)

場所 スリランカ中央部

歴史 紀元前1世紀に開窟されたスリランカ最大の仏教石窟寺院

シンハラ王国19代ワッタガーマニー・アバヤ王がダンブッラの僧に石窟を贈った

特徴 約180mの岩山の中腹にある天然の洞窟を利用し5つの石窟が建造。

内部は極彩色の天井画や壁画。金箔で覆われた涅槃仏など157体の仏像。

■極彩色の壁画+スリランカ=ランギリ・ダンブッラ

Wikipedia→ランギリ・ダンブッラの石窟寺院

◯聖地キャンディ

(文)スリランカ 1988年

登録基準(Ⅳ)(Ⅵ)

場所 スリランカ南西部

歴史 2,000年以上続いたシンハラ王国最後の都。

16世紀末にキャンディに都が移った際にダラダーマーリガーワ寺院(仏歯寺)を築いた。

特徴 ブッダの犬歯は王権の象徴として保管。現在は寺院の仏歯堂聖室に納められている。

■ブッダ関連では犬歯を祀るキャンディ。

Wikipedia→聖地キャンディ

◯聖地アヌラーダプラ

(文)スリランカ 1982年

登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅵ)

場所 スリランカ北部

歴史 紀元前380年頃からシンハラ王国最初の首都が置かれた。

紀元前3世紀にはマヒンダがマハーヴィハーラ寺院を建立。スリランカ仏教の基礎を築く。

特徴 国内最古の仏塔トゥーパーラーマ仏塔。

三大仏塔:ルワンウェリセーヤ仏塔、アバヤキリ仏塔、ジェタワナ仏塔。

ブッタガヤから分け木として運ばれた菩提樹も崇拝の対象となっている。

■マヒンダはアショーカ王の王子でスリランカに仏教を伝えたと言われる。

Wikipedia→聖地アヌラーダプラ

◯バガン

(文)ミャンマー 2019年

登録基準(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)

場所 ミャンマー北部。

歴史 ミャンマー最初の王朝パガン朝の都として隆盛を極めた。

上座部仏教の数世紀にわたる文化的伝統を示し、仏教が政治をコントロールするための装置となったことも表している

特徴 多くの仏塔(パゴタ)が築かれており、3,000以上の仏塔が立ち並ぶ

地震に見舞われている歴史がありユネスコなどの国際機関とミャンマー政府で長期保全のための努力が続けられている。

■世界三大仏教遺跡(アンコールの遺跡群、ボロブドゥール)の一つ。

Wikipedia→バガン

◯ボロブドゥールの仏教寺院群

(文)インドネシア 1991年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅵ)

場所 ジャワ島中部、ジョグジャカルタの北西40㎞に位置。

歴史 770年頃から820年頃に仏教信仰のシャイレンドラ朝により築かれた。

1814年にラッフルズに発見されて注目を浴び、1907年に基礎的調査や修復が行われる。

1973年から10年間、国際的な援助を受けての大規模修復工事が行われ、日本の調査隊も大きく貢献している。

特徴 自然の丘を利用して建造された立体曼陀羅のような建造物。

→約115m四方の基壇の上に5層の方形壇、その上に3層の円形壇が重なり、頂上に釣鐘形のストゥーパがそびえ立つ。

大乗仏教の宇宙観「三界」を表している。

「欲界」基壇部分:欲望にとらわれたものが住む。

「色界」方壇部分:欲界を超越したが物質(色)にとらわれたものが住む。

「無色界」円壇部分:色界も超越し精神のみに生きるものが住む。

4つの回廊を上階に上っていくことで仏教の心理へ到達すると言われ、時計回りに展開するストーリーはブッダの一生や仏教の教えを伝える。

ボロブドゥールの他にパフォン寺院、ムンドゥー寺院の3つが世界遺産に登録されている。

■世界三大仏教遺跡(バガン、アンコールの遺跡群)の一つ。内部構造がないので寺院であるが内部には入れない。

インドネシアは仏教徒が1%ほど。ボロブドゥールの仏教寺院群も管理会社が観光資源として管理している。

Wikipedia→ボロブドゥールの仏教寺院群

◯敦煌の莫高窟

(文)中国 1987年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅴ)(Ⅵ)

場所 中国北西部の敦煌市街地から南東約25㎞に位置。

歴史 莫高窟は4世紀半ば(前秦時代)から13世紀(元代)までの約1,000年に間にわたって造営。

敦煌はオアシス都市。前漢時代に建設されシルクロードの中継地点として発展した。

莫高窟は西方から来た僧、楽僔(がくそん)によるとされている。

1900年に王円籙が大量の古写本や仏画などを発見し注目を集める。

特徴 大きいものは高さ40m、小さいものは約30㎝。石窟は華やかな彩色壁画が施され塑像の仏像が安置されている。

敦煌文書」:経典、文書、絹本の絵画、刺繍など5万点以上。6分の1がチベット語、サンスクリット語、ソグド語の写本、

→内容は仏教、道教、儒教の経典の他、史書、小説、民間伝説、戸籍、契約書などがあった。

■中国三大石窟(雲崗石窟、龍門石窟)の一つ。

Wikipedia→敦煌の莫高窟

◯雲岡遺跡

(文)中国 2001年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)

場所 山西省武周山の断崖面の全長1㎞の範囲に252の石窟が現存。

歴史 452年に即位した北魏の文成帝が高僧曇曜の提言に従い460年に開鑿をしたのが始まり。

特徴 1902年に建築家の伊藤忠太が再発見した。

仏像は5万体以上あり第20窟の如来坐像は傑作とされる。

■次に出てくる竜門石窟との特徴の違いを覚える。特に文成帝と孝文帝とか間違いやすいので注意。

Wikipedia→雲岡遺跡

◯龍門石窟

(文)中国 2000年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)

場所 河南省北西部の洛陽郊外にある石窟。

歴史 5世紀末北魏の孝文帝により最初の石窟が築かれ唐代まで400年以上造営が続く。

特徴 中国最大規模の石窟寺院。雲崗の石仏に比べ龍門の石仏は繊細な装飾がされているのが特徴。

唐代に完成した奉先寺洞が最大の窟。高さ17.4mの盧舎那仏は則天武后を模したとされる。

■敦煌、雲崗、龍門と大足石刻の4つはセットでまとめて覚えて違いやキーワードを区別したい。

Wikipedia→龍門石窟

◯大足石刻

(文)中国 1999年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)

場所 重慶市の北西。

歴史 唐代末期の9世紀から南宋時代の13世紀にかけて山の岩壁に掘られた石仏の総称。

特徴 石仏は70カ所余りに点在。大乗仏教の石刻だが、道教、儒教の像もあり中国三大宗教の石刻がそろっている

宝頂山石刻群の石刻は評価が高い。特に大仏湾と呼ばれる崖の摩崖仏群。全長31mの釈迦涅槃像が有名。

■道教の石刻→南山の三清古洞のもの 儒教の石刻→北山の古文孝経碑

Wikipedia→大足石刻

◯石窟庵と仏国寺

(文)韓国 1995年

登録基準(Ⅰ)(Ⅳ)

場所 慶州の吐含山にある石窟庵と仏国寺

歴史 751年 統一新羅の宰相金大城が前世の父母のために石窟庵を、現世の父母のために仏国寺の建立を開始したとされる。

特徴 どちらの遺産も新羅が残した素晴らしい仏教建築。

石窟庵=吐含山の山頂近くにある。自然の岩壁を掘ったものではなく、削った山の斜面に花こう岩を積み上げた人工石窟。主室中央に如来坐像が安座する。

仏国寺=金大城の死後の774年に完成。当初は現在の10倍の規模を誇ったとされるが1592年の文禄の役の際に多くが焼き払われた。

■統一新羅の芸術的な仏教建築。人物としては金大城が重要。石窟庵と仏国寺それぞれの説明ができるようにしたい。

Wikipedia→石窟庵と仏国寺

◯『八萬大蔵経』版木所蔵の海印寺

(文)韓国 1995年

登録基準(Ⅳ)(Ⅵ)

場所

韓国南部 伽倻山の山麓にある海印寺

歴史 802年 僧の順応と理貞により創建される。13世紀 高麗時代にモンゴル軍侵攻という国難克服のために発願された。

1232年 版木の初彫、その後モンゴル軍に襲撃され焼失。1251年 15年の歳月をかけて復刻、完成した。

特徴 仏教の経典の集大成『八萬大蔵経』の版木を保管する蔵経板殿が登録されている。

『八萬大蔵経』の版木は「世界の記憶」に登録されている。版木が納められている蔵経板殿の床には板がしかれていない。

木炭と石灰、塩を重ねた土間になっており、湿気を調節する働きがある。建物は校倉造りでできている。

山麓にあるのに海印寺!で覚えましょう。『八萬大蔵経』の版木は「世界の記憶」。モンゴル軍の侵攻が歴史上あったこと、校倉造りであることもポイント。

Wikipedia→『八萬大蔵経』版木所蔵の海印寺

◯山寺(サンサ):韓国の山岳僧院群

(文)韓国 2018年

登録基準(Ⅲ)

場所 韓国の真ん中あたり。

歴史 7~9世紀に7つの寺院が創建

韓国仏教の歴史的な発展を伝えている。

特徴 仏教の山岳僧院。

7つの寺院は①通度寺②浮石寺③鳳停寺④法住寺⑤麻谷寺⑥仙岩寺⑦大興寺

4つの建造物(仏殿、あずまや、講堂、宿舎)に囲まれた「マダン(屋根のない中庭)」という韓国特有の庭園を持つ。

■韓国仏教の歴史を伝える。7つの寺院のうち通度寺は重要。マダンもキーワードなので覚えたい。

Wikipedia→山寺(サンサ):韓国の山岳僧院群

おわりに

「宗教・信仰関連遺産(仏教)」については、人物名、時代、建造物を覚える。個人的に遺跡名が混ざるので苦手。表とかを作って覚えたい。

世界遺産検定の他にも色々なジャンルの記事を書いてますので気になるジャンルがありましたら読んでいただけると幸いです。

これからも生活の役に立つ記事、楽しい記事を少しずつ書いていきたいと思います!

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