【世界遺産】48時間目 植民都市/奴隷貿易に関連する遺産~アフリカの世界遺産

こんばんは、みや兄です!世界遺産検定1級合格に向けての勉強シリーズです。

公式テキストである「すべてがわかる世界遺産大事典(上)(中)(下)」を中心に自分の苦手ポイントメモなどを加えていきたいと思います。

世界遺産検定1級 公式テキスト

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今日は48時間目ということで「48植民都市/奴隷貿易に関連する遺産」です

■植民都市

◯シダーデ・ヴェーリャ、リベイラ・グランデの歴史地区

(文)カーボヴェルデ 2009年

登録基準(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅵ)

場所歴史特徴

■リベイラ・グランデは15世紀半ばにポルトガルが築いたヨーロッパ諸国初の熱帯地域における植民都市

18世紀後半に廃墟の上に新たな都市シダーデ・ヴェーリャが築かれた。

サン・フェリペ要塞には奴隷を罰するための「晒し台」が見下ろせる。

植民政策が行われる一方、奴隷貿易の拠点でもあった文化が混淆するクレオール文化の都市。

Wikipedia→シダーデ・ヴェーリャ、リベイラ・グランデの歴史地区

◯アスマラ:アフリカのモダニズム都市

(文)エリトリア 2017年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅴ)(Ⅵ)(Ⅶ)(Ⅷ)(Ⅸ)(Ⅹ)

場所

歴史

特徴

■標高2,000mに位置するエリトリアの首都。

イタリア合理主義による大規模な都市の建築計画。

20世紀初頭の初期モダニズムがアフリカに通用された例

Wikipedia→アスマラ:アフリカのモダニズム都市

◯モンバサのフォート・ジーザス

(文)ケニア 2011年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅴ)(Ⅵ)(Ⅶ)(Ⅷ)(Ⅸ)(Ⅹ)

場所

歴史

特徴

■モンバサ港とインド洋交易路の防衛目的で築かれた要塞。

ポルトガル人のジョヴァンニ・ヴァッティスタ・カイラティが設計。

真上から見ると人体の形に似ている。

Wikipedia→モンバサのフォート・ジーザス

◯マサガン(アル・ジャジーダ)のポルトガル都市

(文)モロッコ 2004年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅴ)(Ⅵ)(Ⅶ)(Ⅷ)(Ⅸ)(Ⅹ)

場所

歴史

特徴

■ポルトガルの植民都市。

現存する貯水槽や聖母被昇天聖堂などはマヌエル様式、城塞はルネサンス様式がみられる。

Wikipedia→マサガン(アル・ジャジーダ)のポルトガル都市

◯アープラヴァシ・ガート

(文)モーリシャス 2006年 負の遺産

登録基準(Ⅵ)

場所

歴史

特徴

■モーリシャスの首都ポートルイスにある契約移民労働制度を象徴する一画。

アープラヴァシ・ガートはヒンディー語で「移民海岸」や「移民発着所」を意味する。

イギリスは奴隷解放令が成立したところで「契約移民労働」という奴隷労働に代わる方法に。

世界遺産に登録されているのは移民局が建設した石造りの倉庫や病院など。

Wikipedia→アープラヴァシ・ガート

◯グラン・バッサムの歴史都市

(文)コートジボワール 2012年

登録基準(Ⅲ)(Ⅳ)

場所

歴史

特徴

■グラン・バッサムの歴史都市はコートジボワール最初の首都

コートジボワールで重要な港で経済や司法の中心だった。

街並は入植者と地元民の複雑な社会関係、それに続く独立運動の時代の様子を表している。

Wikipedia→グラン・バッサムの歴史都市

◯ガーナのベナン湾沿いの城塞群

(文)ガーナ 1979年 負の遺産

登録基準(Ⅵ)

場所

歴史

特徴

■ガーナは「黄金海岸」と呼ばれたほどの金の産地。

要塞は象牙、真鍮、香辛料、奴隷の交易所として使われた。内部には奴隷の収容所や監獄が見られる。

最盛期には60カ所あったうちに3分の1が現存しており、博物館や学校として転用しているものもある。

Wikipedia→ガーナのベナン湾沿いの城塞群

■奴隷貿易に関連する遺産

◯ロベン島

(文)南アフリカ 1999年 負の遺産

登録基準(Ⅲ)(Ⅵ)

歴史

特徴

■南アフリカ共和国でアパルトヘイトが法制化されると反対する政治犯を収監する刑務所として使用された。

後の南アフリカ共和国の大統領でノーベル平和賞受賞者のネルソン・マンデラも投獄された。

Wikipedia→ロベン島

◯ゴレ島

(文)セネガル 1978年 負の遺産

登録基準(Ⅵ)

場所

歴史

特徴

■世界で最初の世界遺産12のうちのひとつ。

奴隷貿易を含む三角貿易が続けられた。

奴隷貿易の象徴「奴隷の家」が島の東岸に残っている。

歴史博物館として残っている「エストレ要塞」が島の北端にある。

島の南端にも砦や砲台が残されている。

Wikipedia→ゴレ島

◯モザンビーク島

(文)モザンビーク 1991年

登録基準(Ⅳ)(Ⅵ)

場所

歴史

特徴

■東西の様々な文化が共存する島。

1498年にヴァスコダガマがインド航路開拓の途中に上陸して以降ポルトガル人が続々と入植。

サン・ガブリエル要塞、サン・セバスティアン要塞、ノッサ・セニョーラ・デ・バルアルテ礼拝堂などが残る。

Wikipedia→モザンビーク島

◯サン・ルイ島

(文)セネガル 2000年/2007年範囲変更

登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)

場所

歴史

特徴

■セネガル河口に浮かび本土とはフェデルブ橋で結ばれているサン・ルイ島。

フランスによるアフリカ貿易の重要拠点。

フランス風のコロニアル建築の街並みが残っている。

Wikipedia→サン・ルイ島

◯クンタ・キンテ島と関連遺跡群

(文)ガンビア 2003年 負の遺産

登録基準(Ⅲ)(Ⅵ)

場所

歴史

特徴

■ガンビア西部ガンビア川に浮かぶクンタ・キンテ島。

ヨーロッパ各国が築いた要塞や奴隷の詰め所が残っている。

バレン要塞やポルトガルの建造物群の遺構のサン・ドミンゴの廃墟、礼拝堂がある。

『ルーツ』で知られるアレックス・ヘイリーの祖先もこの地からアメリカ大陸に連れてこられた。

Wikipedia→クンタ・キンテ島と関連遺産群

◯アボメーの王宮群

(文)ベナン 1985年/2007年範囲変更

登録基準(Ⅲ)(Ⅳ)

場所

歴史

特徴

■ベナン南部のアボメー。アボメー王国の王の宮殿が残る。

奴隷貿易で栄えるがこれにより「奴隷海岸」と呼ばれた。

12の宮殿跡と要塞跡が点在。

Wikipedia→アボメーの王宮群

おわりに

「植民都市」については、どの国が植民地にしたか、そして世界遺産になったものの整理をする。

「奴隷貿易に関連する遺産」については負の遺産となってるものの内容や歴史を把握する。

世界遺産検定の他にも色々なジャンルの記事を書いてますので気になるジャンルがありましたら読んでいただけると幸いです。

これからも生活の役に立つ記事、楽しい記事を少しずつ書いていきたいと思います!

ではではー!

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