【世界遺産】59時間目 宮殿と別荘、庭園~ヨーロッパの世界遺産

こんばんは、みや兄です!世界遺産検定1級合格に向けての勉強シリーズです。

公式テキストである「すべてがわかる世界遺産大事典(上)(下)」を中心に自分の苦手ポイントメモなどを加えていきたいと思います。

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今日は59時間目ということで「59宮殿と別荘、庭園」です

■宮殿と別荘、庭園

◯シェーンブルン宮殿と庭園

(文)オーストリア 1996年

登録基準(Ⅰ)(Ⅳ)

場所 オーストリアの首都ウィーン

歴史 17世紀に神聖ローマ皇帝レオポルド1世が建築家フィッシャー・フォン・エアラッハに命じて造営させた離宮。

特徴 マリア・テレジアが大規模な改築を行い居城とした宮殿。

■壁画や装飾が施され、庭園も拡張、壮大な宮殿へと変貌。

黄色で統一された外観が重厚なバロック様式で内部はロココ様式の装飾。

総部屋数1400のシェーンブルン宮殿のなかで最も豪華な部屋が「百万の間」である。

庭園には1757年にマリア・テレジア軍がプロイセンのフリードリヒ2世に勝利したことを記念して建てられた「グロリエッテ」(戦勝記念堂)や、世界最古の動物園、ガラス建築の植物園なども立ち並ぶ。

Wikipedia→シェーンブルン宮殿と庭園

◯グラナダのアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、アルバイシン地区

(文)スペイン 1984年/1994年範囲拡大

登録基準(Ⅰ)(Ⅲ)(Ⅳ)

場所 アンダルシア地方のグラナダにある。

歴史 イベリア半島でイスラム王朝のグラナダ王国が興り、1492年のレコンキスタが完了するまで

特徴 イスラム勢力によるイベリア半島支配期に築かれたイスラム文化の面影を残す遺構。

■①アルハンブラ宮殿=1238年から建造開始。植物や文字、幾何学図形をあしらったアラベスク文様などが特徴。

ヘネラリーフェ離宮=王族の避暑地として14世紀頃に造営。那波打山脈の雪解け水を利用して作られた庭園「アセキアの中庭」が特徴。イスラム式庭園の大傑作とされる。

アルバイシン地区=アルハンブラ宮殿からダーロ川を挟んだ対岸の丘にある地区。グラナダで最も古い居住区。

レコンキスタ完結後1492年以降キリスト教徒が移住してきた。中世イスラム様式の生活スタイルと、近世におけるキリスト教徒の生活様式が融合する景観と街の雰囲気はグラナダの大きな特徴といえる。

Wikipedia→グラナダのアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、アルバイシン地区

◯ポツダムとベルリンの宮殿と庭園

(文)ドイツ 1990年/1992、1999年範囲拡大

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅳ)

場所 ドイツ北東部、ハーフェル川河畔とグリーニッケ湖湖畔。

歴史 1730年から1916年にかけて建造された宮殿と庭園。フリードリヒ2世がポツダムに造らせたサンスーシ宮殿が有名。

特徴 5㎢を超える庭園群と150以上の宮殿建築が残る。

■サンスーシ宮殿の設計はクノーベルスドルフだったが基本構想はフリードリヒ2世が立案。

サンスーシ庭園で有名なのは宮殿の南側に広がる、丘の斜面を利用してひな壇状に造られたルスト庭園

サンスーシ宮殿の北東にイギリス荘園領主の館に倣った素朴なツェツィーリエンホーフ宮殿がある。ポツダム会談の開催場所として有名。

Wikipedia→ポツダムとベルリンの宮殿と庭園

◯ブリュールのアウグストゥスブルク城と別邸ファルケンルスト

(文)ドイツ 1984年

登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)

場所 ドイツ西部にあるブリュールのアウグストゥスブルク城。

歴史 ケルン大司教で選帝侯のクレメンス・アウグストが18世紀に建設を命じた宮殿。

特徴 宮殿から2kmほど離れた森の中には狩猟用の別邸であるファルケンルストがある。

■ヨーロッパ各地の芸術家たちが約40年の歳月をかけて完成。ドイツ・ロココ様式の最高傑作の1つ。

Wikipedia→ブリュールのアウグストゥスブルク城と別邸ファルケンルスト

◯ブレナム宮殿

(文)イギリス 1987年

登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)

場所 ロンドンから北西に約90km離れたウッドストック

歴史 1704年のブレンハイムの戦いに勝利したアン女王が初代マールバラ公に下賜したもの。

ジョン・ヴァンブラが17年の年月をかけて完成。

特徴 イギリスのバロック建築

■18世紀にランスロット・ブラウンによってイギリス式庭園に作りかえられてた。

Wikipedia→ブレナム宮殿

◯ファウンテンズ修道院の廃墟のあるスタッドリー・ロイヤル公園

(文)イギリス 1986年/2012年範囲変更

登録基準(Ⅰ)(Ⅳ)

場所 イングランド北部ノース・ヨークシャー州。

歴史 12世紀前半にシトー会の修道士たちによって築かれた。

特徴 中世の数動員跡を取り込んだ風景式園庭

■スタッドリー・ロイヤル公園は政治家ジョン・エイズラビーとその息子が整備。

庭園と修道院跡は1983年にナショナル・トラストの所有物となり整備や復元が進められている。

Wikipedia→ファウンテンズ修道院の廃墟のあるスタッドリー・ロイヤル公園

◯マドリードのエル・エスコリアール修道院と王立施設

(文)スペイン 1984年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅵ)

場所 スペインの首都マドリード

歴史 16世紀半ば国王フェリペ2世が礼拝の都合を考え、王宮と修道院を合体させたのが始まり。

特徴 格子型の平面プランの修道院を築いた。

■1557年キリスト教の聖人である聖ラウレンティウス(ロレンソ)が殉教したとされる8月10日にスペイン軍がフランスに勝利したのでこの聖人に感謝し築いた。

Wikipedia→マドリードのエル・エスコリアール修道院と王立施設

◯マフラの王家の建物:バシリカ、女子修道院、セルコ庭園、狩猟公園(タバダ)

(文)ポルトガル 2019年

登録基準(Ⅳ)

場所 リスボンから北西に30kmの地に築いた建造物群。

歴史 1711年にジョアン5世が築く。

特徴 イタリア・バロック様式の傑作。四辺形の敷地に王宮と王家の教会、バシリカ、フランシスコ派の修道院。36000冊の図書館がある。

■建築群の幾何学的な配置はセルコ庭園と王家の狩猟公園(タバダ)によって完成。

Wikipedia→マフラの王家の建物:バシリカ、女子修道院、セルコ庭園、狩猟公園(タバダ)

◯ドロッドニングホルムの王領地

(文)スウェーデン 1991年

登録基準(Ⅳ)

場所 ストックホルム郊外メーラレン湖に浮かぶローヴェン島にある。

歴史 16世紀に建てた夏の離宮を1661年に王妃ヘドヴィーク・エレオノーラが建築家ニコデムス・テッシンに依頼、約20年をかけて宮殿と庭園が完成した。

特徴 スウェーデン王室の宮殿を含む建造物群。

18世紀後半にプロイセンから嫁いできたロヴィーサ・ウルリカは宮殿改築を進め敷地内に劇場や中国風東屋を建設。

ウルリカの息子グスタフ3世は内装にロココ様式、フランス式庭園の一角に自然を生かしたイギリス風庭園を造営。グスタフ3世が好んだ様式はグスタヴァン様式と呼ばれスウェーデン文化の中心となった。

■クイズでは「北欧のヴェルサイユ宮殿」の前振りや「王妃の小島」の意味で出てくるのがこの遺産。

Wikipedia→ドロッドニングホルムの王領地

◯ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター・アビーとセント・マーガレット教会

(文)イギリス 1987年/2008年範囲変更

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅳ)

場所 ロンドン中心部

歴史 

特徴 11世紀に建てられた宮殿や大修道院などの歴史的建造物が並ぶ。宮殿と修道院はエドワード王によって建設された。

■①ウェストミンスター寺院=17世紀ピューリタン革命が始まるきっかけとなった場所。大火災で焼失するも1860年にゴシック・リバイバル様式で再建。ウェストミンスターホールだけは14世紀の姿をとどめる。宮殿の北側にはロンドンのシンボル「ビッグベン」がある。

ウェストミンスター・アビー=ウィリアム1世以降ほとんどの国王の戴冠式が行われてきた。中世以来の国王や政治家などが埋葬されている英国王室にとっても神聖な場所の一つ。

セント・マーガレット教会=一般の信者が礼拝する場として設けられたもので、現在の大半は1523年に再建された。

Wikipedia→ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター・アビーとセント・マーガレット教会

◯フォンテーヌブロー宮殿と庭園

(文)フランス 1981年

登録基準(Ⅱ)(Ⅵ)

場所 フランス

歴史 一帯に広がる森はフランス王室の狩猟場として使われていた。宮殿は増改築され豪華になるがフランス革命で荒廃。19世紀にナポレオンによって馬蹄型の階段を備えるなど改築修復された。

特徴 フランソワ1世によって16世紀に建てられたルネサンス様式の宮殿。

■イルロッソ・フィオレンティーノが手掛けたマニエリズム様式の傑作である「フランソワ1世の回廊」やプリマティッチオが完成させた「舞踏の間」、ナポレオンが近衛兵に別れを告げた「別れの中庭」などがある。

Wikipedia→フォンテーヌブロー宮殿と庭園

◯カゼルタの18世紀の王宮と庭園、ヴァンヴィテッリの水道橋、サン・レウチョの関連遺産

(文)イタリア 1997年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)

場所 イタリア。

歴史 スペイン・ブルボン王朝のカルロス3世により建設された王宮。

特徴 宮殿は中庭を囲み1,200の部屋と34の階段室を持つ。庭園は噴水と水路で装飾されたフランス式庭園。一部にイギリス式庭園もある。

■この水路の演出のため40km離れた山から水を引く水道橋も建築されている。

ナポリ王フェルディナンド4世が産業育成のために築いたサン・レウチョの絹産業遺産群も含まれる。

Wikipedia→カゼルタの18世紀の王宮と庭園、ヴァンヴィテッリの水道橋、サン・レウチョの関連遺産

◯ミール城と関連遺産群

(文)ベラルーシ 2000年

登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)

場所 ベラルーシ中部に建つミール城

歴史 交通の要衝であったため支配者が次々と交代し、時代に応じた改築や拡張が行われてきた。

特徴 様々な建築様式が融合した500年以上の歴史を持つ城郭。

■15世紀末にイリイニチ家が創建したときはゴシック建築だったが、その後ルネサンス様式、バロック様式の要素が加えられた。

ナポレオン戦争などの戦火に巻き込まれたが、19世紀に帝政ロシアのもとで修復された。現在は博物館になっている。

Wikipedia→ミール城と関連遺産群

◯ネスヴィシにあるラジヴィル家の建築と邸宅および文化関連遺産群

(文)ベラルーシ 2005年

登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)(Ⅵ)

場所 ベラルーシ中部のネスヴィシ

歴史 16世紀末にラジヴィル家が建造した邸宅がある。

特徴 この地のラジヴィル家の邸宅はルネサンスとバロックの様式が混在している。

■ネスヴィシはラジヴィル家によって科学や芸術、工芸、建築などあらゆる発展がもたらされた街。

ベネディクト会やイエズス会などの修道院でも知られる。

Wikipedia→ネスヴィシにあるラジヴィル家の建築と邸宅及び文化関連遺産群

◯トリノのサヴォイア家の王宮と邸宅

(文)イタリア 1997年/2010年範囲変更

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅳ)(Ⅴ)

場所 イタリアのトリノ

歴史 サヴォイア家は15世紀にサヴォイア公国、18世紀にサルデーニャ王国へと発展していくが、トリノの王宮と邸宅は16世紀半ばに、サヴォイア公国の首都をトリノに移転した際に築かれた。

特徴 サヴォイア家の王宮と邸宅はフランスの出身だった同家が領土を広げ、その支配力を誇示するために建設を命じた大規模な邸宅群である。

■トリノ市街の宮殿から狩猟小屋に至るまで設計・装飾された。カリニャーノ宮殿ではイタリア王国統一後の議会が開かれた。

Wikipedia→トリノのサヴォイア家の王宮と邸宅

◯ティヴォリのエステ家別荘

(文)イタリア 2001年

登録基準(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅵ)

場所 イタリア中部。

歴史 16世紀半ばナポリの建築家ピッロ・リゴーリオの手で、かつてベネディクト会の修道院だった建物が住居兼調査として改装。

特徴 枢機卿イッポリート・デステによって建てられた邸宅。

■庭園には人の往来で水が流れる「楕円の噴水」水圧でオルガンが自動演奏される「オルガンの噴水」「百噴水」など大小500の噴水。

Wikipedia→ティヴォリのエステ家別荘

◯クロムニェジーシュの庭園と宮殿

(文)チェコ 1998年

登録基準(Ⅱ)(Ⅳ)

場所 チェコ東部

歴史 1497年にチェコ中部の都市オロモウツの司教が居城を構えたことで発展。

15世紀に築かれた庭園と宮殿は当初はゴシック様式、17~18世紀にバロック様式に改装。

19世紀には音楽や美術などの文化が花開いた。

特徴 中欧を代表するバロック建築が並ぶ都市。

■宮殿は1階の部屋から洞窟に繋がり、庭園には数々の外来種植物。

イタリアのポンペイから取り寄せた彫刻が配置された半円柱の柱廊。ルネサンス様式の「快楽の庭園」

Wikipedia→クロムニェジーシュの庭園と宮殿

◯リトミシュル城

(文)チェコ 1999年

登録基準(Ⅱ)((Ⅳ)

場所 東ボヘミア地方。

歴史 1568~1581年にかけて建てられたルネサンス様式の城郭。

ベルシュテイン家の居城として北イタリアの建築家によって建てられ18世紀の改修では内部にバロック様式が導入。

特徴 中欧でもいち早くルネサンス様式を取り入れた城

■敷設する劇場は「モルダウ」の作者スメタナのデビューした場所。

Wikipedia→リトミシュル城

おわりに

「宮殿と別荘、庭園」については、まずは建築様式と関連の人名を抑えておく。そして各建築物の違いを決めるキーワードを覚える。

世界遺産検定の他にも色々なジャンルの記事を書いてますので気になるジャンルがありましたら読んでいただけると幸いです。

これからも生活の役に立つ記事、楽しい記事を少しずつ書いていきたいと思います!

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